3月11日の東北関東大震災発生時、埼玉県川越市に住む30代の主婦・Aさんは、外出先の原宿にいた。電車は完全にストップ。タクシーを探しても全くつかまらない。携帯電話も携帯メールもつながらず、駅前の公衆電話に30分間並んで母親に幼稚園と学童保育にいる子供たちのお迎えを頼んだが、夫とは連絡がつかず家に帰るすべもない。彼女が唯一営業していたカフェに入ると、相席を求めてきた女の子たちのひとりが、Aさんのお腹が大きいことに気がついた。彼女は臨月の妊婦だったのである。
「すごく心配してくれて、ひとりの子が“彼がこの近くに住んでいるんで、よかったら一緒に来ませんか?”といってくれたんです。その見ず知らずの心優しいカップル宅で一夜を過ごさせてもらい、お鍋をご馳走になり、ベッドまでお借りしました。本当に救われましたね。夫とも夜8時頃には無事の連絡がとれました」(Aさん)
自宅を目指す“帰宅難民”の行列では、見知らぬ者同士が笑顔で談笑し合った。他愛もない雑談に勇気づけられながら真夜中の道を歩いていると、いたるところで「休憩できます」「トイレお貸しします」と声がかかる。会社や飲食店が、進んで場所を開放していたのだ。「あたたかいコーヒーをどうぞ」と、コーヒーを無料で配る人の姿もあった。
駅前でタクシーを待つ人たちも整然とし、誰一人列を乱す者はいない。タクシーがなかなか来ないなか、マイカーを運転するサラリーマン風の中年男性が声をかけてきた。
「方向一緒なんですか? 大丈夫ですよ。困った時はみんな一緒ですから」
感謝の言葉を伝えながら、おばあちゃんやサラリーマンが乗り込んでいく。その光景を見かけた男子大学生のBさんは、エピソードをツイッターにつぶやいた。
「すると、すぐに“私も青葉台から町田まで乗せてもらって助かった”という反応がありました。自分の利害を考えずに、迷わず行動できる人が何人もいたんですね」(Bさん)
駅の構内は、電車が動くのを待つ人たちであふれていた。しかし、ロープが張られているわけでもないのに、通路スペースが自然にできる。以心伝心。誰もが全体を考え、相手のことを思いやって行動しているのだ。外国メディアが驚嘆するのも当然だろう。
※週刊ポスト2011年4月1日号