東北関東大震災では連日死者、行方不明者の数が報じられているが、現地では数字だけでは言い表せない物語がある。本誌記者が見た被災地の実態をレポートする。
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ここは宮城県・仙台市荒浜地区。海岸近くの遺体捜索は津波の恐怖と隣り合わせだ。避難命令が出ると、捜索隊員は高台でしばしの間、待機を余儀なくされる。
そんな時に思い詰めたような表情で、「報道の方ですよね。(津波で大きな被害を受けた岩手県の)陸前高田には行かれたのですか?」と、ウェットスーツ姿にシュノーケルを付けた20代の青年が声を掛けてきた。いまだに海水が引かない若林区荒浜地区では、水中に漂う遺体を回収するために、ボート1艇に5~6人の水難救助隊員が乗り込み、何度もボートから水の中に飛び込んでいる。
記者が「まだ行っていない」と答えると、「そうですか……。陸前高田に両親が住んでいるのですが、連絡が取れません。街は壊滅状態と報じられているのですが、避難した人々がどうしているのかだけでも分かれば……」――そういって顔を曇らせた。
「水の中でご遺体を発見すると、一瞬“父や母もこんな状態で誰かに見つけてもらうのを待っているのか”などと、嫌な考えが頭をよぎることがあるんです」
テレビでは、被災者たちの「早く行方不明の家族を見つけてほしい」という苛立ちが繰り返し報じられる。不明者の捜索に関わる警察官や消防団員の大半は地元出身者だ。救う立場の者が、実は被災者であるケースは数多い。
「もちろん両親のことは気がかりでなりません。でも、私と同じ気持ちで家族の救助を待っている人がここ(若林区)にもたくさんいます。倒壊した家屋の中で、奇跡的に生存している方がいるかもしれない。そんな人を一人でも多く見つけられたら、遠くにいる父と母も助かるのではないか。そんな気持ちで潜っているんです」
消防無線から「退避命令解除」の指示が流れた。ウェットスーツのフードを被り直した青年隊員は、礼儀正しく頭を下げてから現場に走っていった。
※週刊ポスト2011年4月1日号