広瀬和生氏は1960年生まれ、東京大学工学部卒。音楽誌『BURRN!』編集長。30年来の落語ファンで、年間350回以上の落語会、1500席以上の高座に接する。その広瀬氏が「現代的センス」と勧めるのが、立川志らくである。
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柳家喬太郎は、日本大学在学中に新作落語を自作自演して賞を取るなど、学生落語では知る人ぞ知る「逸材」だ。
その喬太郎と日大で同期だったのが、立川志らく。落語低迷期の1990年代、志の輔に続いて若いファン層を開拓し、後の「落語ブーム」への下地を作った立川流の俊才だ。
同期といっても喬太郎は「経商法」の落語研究会。一方、志らくは日大芸術学部の落語研究会で、OBである高田文夫が志らくに「おまえ、面白いから落語家になっちゃえ」と勧め、談志に紹介したところ、「高田の推薦なら間違いない」とすんなり入門が許されたという。
この入門の経緯は、談春のベストセラー『赤めだか』に対抗するように志らくが出した自伝『雨ン中の、らくだ』にも書かれている。志らくの入門は談春より1年遅い1985年だが、真打昇進は談春より2年早い95年。
二ツ目時代に「立川ボーイズ」を名乗ってコントを披露し、テレビの人気者になったこともあるこの2人、良きライバルといえるだろう。
志らくは名うての「論客」だ。9点ある著作の中でも『全身落語家読本』と『志らくの落語二四八席辞事典』は落語論の名著。この2冊を読めば、志らくの落語愛の深さ、分析の鋭さがよくわかる。
といっても彼は頭デッカチな「理論派」の落語家ではない。むしろ「感覚的な演者」といえる。志らく落語の真髄は「現代的なセンス」にこそある。それは志らくが天性に備えた「芸人としての資質」だ。
コントをやっても爆笑させるギャグセンスを古典落語に活かした志らくの「現代人にとって面白い古典落語」は、落語人気が低迷する90年代、大きな衝撃をもって迎えられた。
志らくが実践したのは「古典落語は面白い落語家が演れば面白い」というもので、今となってみれば当たり前のことだが、当時はまさに「目からウロコ」だった。
※週刊ポスト2011年4月1日号