改めて被災地を見てほしい。避難所で高齢者の世話をする中学生や高校生、その姿を見て、津波で家族も家もすべてを流された陸前高田の初老の男性は、「この子たちのためにも、この町に踏みとどまって必ず復興させる」と誓っていた。
そこには力強い自立の意思と、人間と人間の共生の姿がプリンシプルな形で見えているではないか。
全国の個人から自治体まで、「ぜひ我が町に来てほしい」と被災者の受け入れ、生活費の支給を表明している。2000人規模を受け入れる「タウンステイ構想」を発表した佐賀県武雄市の樋渡啓祐・市長は、「国は原発の危機管理や被災地復興に専念してほしい」と、被災者の生活支援は自治体に任せてくれと語った。そこには、地方と国の役割をはっきり分ける地方主権の意識が育っている。
企業も、次々に無償で救援物資を被災地に送り、生保47社は死亡保険金や入院給付金に「地震による免責条項」を適用せず、被保険者に保険金を支払うことを決めた。世界でも稀な決定だ。トイレットペーパーや乾電池まで、消費者の買い占めが起きたが、昔のような売り惜しみや便乗値上げは起きていない。
民主党政権が2年前の総選挙で掲げた「自立と共生」の国家哲学は、図らずもこの甚大な被害のなかで、国民自身が体現している。これは日本の覚醒と喜ぶべきことなのか、民主党への皮肉というべきなのか。
これからの復興では、震災で痛めつけられた産業の再配置、被災地から全国各地への集団疎開という民族大移動、震災孤児の里親探し、そして東北の復興プランから原子力政策の見直しまで、その一つ一つが国のありかたを問われる重大テーマになる。長い低成長の時代と少子高齢化で自信を失いかけていた国民にとっても、もう一度、国を一から立て直す重大局面だ。
為政者がやるべきは、国民の先頭に立ち、国づくりのビジョンを示すことだ。もちろん、今は目の前にある原発危機、被災者保護に指導力を発揮してもらいたい。「財源がない」「増税だ」「耐えてくれ」と国民を萎縮させるだけの政治家は、すぐに立ち去るべきだ。
※週刊ポスト2011年4月8日号