3月11日。地震が発生した当時、福島第一原発の敷地内には5000人以上の作業員がいたといわれている。福島で東京電力に採用された20代の作業員・Aさんはそのとき、1号機から6号機にそれぞれ併設されている、あるタービン建屋内2階部分の中央制御室にいた。Aさんは、地震発生直後の様子をこう語る。
「揺れがおさまったところで、原子炉が全号機停止し、核分裂による発熱状態がおさまっていることを確認しました。津波の危険は日頃から承知していました。そのときは10分ほどたってどうやら大丈夫そうだということで、他の作業員と一緒に、タービン建屋の地下でポンプや非常用発電機などの点検作業を行っていたんです」
その最中に、津波に襲われた。
「突然、通気口やゲートを破って水がざーっとはいってきたんです。あっという間に腰あたりまで水がはいってきて、水圧で押し流されそうになりながら、階段を上がりました。非常灯もすべて消えてしまったので、建物の中は暗くてどうしようもなかった。逃げながらただ覚えているのは、“これはもう死んだな”ということだけ。自分の死がすぐそこにあるのを感じました」
1階部分は完全に水没。Aさんはやっとの思いで2階に戻った。避難してきた人たちはみんな、「これは大変なことになった…」とほとんど絶句状態だった。しかし原子炉のことを考え、すぐにその場で復旧の相談が始まった。
「みんなプロですから、一歩間違えると大変なことになる。注水して冷却させなければとわかっているんです。機器類の全部が全部、使えなくなっているわけではないだろうと思い、“そのポンプを使ったらいいだろう”“バルブをどうにかして、注水できないか”というような声が飛び交っていました」
※女性セブン2011年4月14日号