避難所で暮らす被災者を料理で勇気づける人たちがいる。ここは1000人以上の被災者が暮らす陸前高田市立第一中学校。午前5時、底冷えする中庭で男たちは活動を始める。親子3代60年続く中華料理店のコック、アメリカの和食店で働いたこともある元和食職人、この道30年の寿司職人ら7人ほどがチームを結成し、日々調理に励んでいる。全員が自分の店と家を失い、避難所や親族宅に身を寄せる被災者でもある。
そのひとりがレストラン「くっく亭」を営む河野義典さん(47)だ。救援物資が届いて避難所で調理できるようになった震災4日目、体育館に流れた「調理師免許を持っているかたはいませんか」という放送を聞いて参加した。
「きついのは知ってるけど、嘘はつけねえべなって。この状況を見ればやんねばなんねえべなって」(河野さん)
第一理科室とそこに面した中庭が調理場になった。室内で切った大量の野菜やといだ米などを屋外に手渡し、裸のガス釜が並ぶ中庭で調理する。目立たない場所にあるので、作業に気づく避難者は少ない。
仕事は実にハードだ。早朝5時に集合し、8時半に配る朝食の支度をする。そのまま正午過ぎまで昼食の調理をし、わずかな休憩を挟んで夕食の準備が始まる。午後8時を回ってから、ようやく“自宅”である体育館に戻る。しかも当初はテントや風よけのない青空厨房だった。降りしきる雪の中、屋根もなく凍える手で1000人分のみそ汁を混ぜたこともある。
河野さんは震災で自分の店と自宅、愛する母親を失った。
「安置所にはいった途端、『助けなくてわりかったなあ』と涙が出た。ボロボロになったけど、ここにくれば力が出る」(河野さん)
苦しい状況できつい仕事をしながらも調理場には笑いが絶えない。調理メンバーのひとり、寿司職人の阿部和明さん(57)がいう。
「みんな何かを失った人ばかり。本当は地獄のような状況だけど、みんなでいると明るくなれる。ここには“絆”があるんです」
ある日調理をしていると、夫を亡くした婦人に「いつもご苦労さま」と声をかけられ、河野さんは言葉を失った。高田一中では、誰もが支え合って生きている。
「自分だけでなく、みんな同じ気持ちなんだと思うとパワーが出てくる。どこまで手伝えるかわからないけど、できる限り踏んばるつもりです」(河野さん)
※女性セブン2011年4月14日号