被災地には、報道が強調する「復興」の筋書きでは紡げない現実がある。ノンフィクション作家・石井光太氏が宮城県岩沼市を歩き、復興から取り残された人々の深奥をリポートする。
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夕陽が海を赤く染め、あたりが暗くなってきた。 朝、がれきを漁っていた人々は、袋やスーツケースに拾ったものを詰められるだけ詰めた。
泥だらけのノートや表彰状、それに位牌……なかには真っ黒になったヌイグルミを抱く母親の姿もある。みな、それらを抱えながら、小走りで帰路につく。
外灯の失われた町は、陽が沈んだ瞬間に一寸先も見えない闇に覆われてしまうため、夕空が赤いうちに被災者も自衛隊も逃げるように立ち去らざるを得ないのだ。
私も腕時計の針を気にしながら車へと足早に向かっていると、1人の老人が若い自衛隊員に何かを訴えていた。70代の白髪の男性だ。 歩み寄ってみると、彼はこう頼み込んでいた。
「我が家に重機を入れるのをもう1日待ってくれねえが。今日家さ行ってみたんだけどなんも見づがらねえんだぁ。死んだ妻の写真や、行方不明中の息子の仕事道具はどこかさ埋もれてしまったままなんだよぉ。それを見つけるまでもう少し待ってくれ」
老人は避難所からやってきたものの、1人の力では何も探し当てることができなかったのだろう。1日かけたって瓦やブロックをわずかにどかすことぐらいしかできない。若い自衛隊員は答えた。
「私は重機の入る時期について詳しいことは知りません。市に相談してください」
「今、市の窓口が開いているわけねえだろ。彼らもみな被災しているんだぁ。俺の訴えなんて一々聞き入れてくれるわげねえ。だがら、君から上司さかけあってくれねえが。我が家があった場所だけは、がれきをそのままにしてくれ、と。簡単なことだろ、手をつけなければいいだげだ」
「しかし……」
「お願いだ。頼むよ。一生のお願いだぁ」
老人は枯れ枝のような手で、自衛隊員の制服をつかんだ。目は充血し、透き通った涙が浮かんでいる。 自衛隊員は困惑して仲間を探したが見当たらない。老人は声を詰まらせながら何度も頭を下げ、「お願いだ、お願いだぁ」と訴える。
自衛隊員も泣き出しそうな顔で「やめてください」としか答えられない。そんなやり取りが繰り返される。 私は2人を前にして、急速過ぎる復興の波に違和感を覚えざるを得なかった。無論、見るも無残な被災地が人が住めるような状態にもどるに越したことはない。
だが、一瞬のうちに70年以上暮らしてきた町を破壊され、その1週間後には、ブルドーザーによってがれきすら片付けられてしまう現実に、ついていけず取り残される人間は少なくないだろう。
10代、20代の若者だって茫然自失としている状態なのに、70年以上ここで人生を積み上げてきた老人がすべてを割り切って考えることなどできるわけがない。彼にこの土地で生きた証を何一つ持たぬまま、余生をどう過ごせといえばいいのだろうか。 私の胸のなかに、やり場のない思いだけが残った。
※週刊ポスト2011年4月15日号