東京オリンピックを裏方として支えた人々のエピソードを綴ったノンフィクション『TOKYOオリンピック物語』(小学館、1890円)には、ポスターのグラフィックデザイナーから選手村の料理人、競技場の警備を担当する警備員など、さまざまな裏方たちが登場する。
この本の著書である野地秩嘉さん(53)も含めて多くの日本人は、東京オリンピックの翌年公開された記録映画『東京オリンピック』(市川崑監督)で、この大会を堪能した。競技そのものよりも、選手の表情や競技に見入る人々の視線、周囲の動きなど、すべてが新鮮で観衆をとりこにした。
しかし、時の建設大臣・オリンピック担当大臣・河野一郎が、この映画は記録映画ではないと批判し、大きな論争が起きる。このとき、市川監督の擁護に毅然と立ち上がったのが、当時40才の女優・高峰秀子さん(2010年12月28日に死去・享年86)だった。
<市川作品はオリンピックの汚点だなどと乱暴なことばをはくなんて、少なくとも国務相と名のつく人物のすることではない。逆にいえば、この程度のオジサン方が、よくまああんなりっぱなオリンピックを開けたものだと感心したくなる>とわざわざ新聞に投書。当時、河野大臣と市川さんの対立から、河野大臣と高峰さんの対立に世間の注目は移った。
本書の執筆にあたって電話でインタビューした野地さんに、高峰さんは明快に、「相手が大臣だからと遠慮はしなかった」と答えたという。高峰さんはひとりで大臣の事務所まで会いに行き、事態を収束させた。
野地さんは語る。
「亀倉雄策さんのほか、村上信夫さん、市川崑さん、高峰秀子さん…。ここに登場する人たちは、ただ一流だというだけではなく、自分こそこの世界を代表しているという気概をもった人間でした。
高峰さんにしても、日本の女優を代表するのは自分なんだ、だから頑張らなきゃ、という思いだったんでしょう。彼らは、チャレンジ精神をもって自ら“やってやろう”と問題に突っ込んでいき、活路を切り開いた人たちです。いま、そんな人はどれだけいますか? むしろ何かを代表して自ら動くことが、かっこ悪いことのように思われているんじゃないでしょうか」
彼らは、「金じゃない。日本のために頑張るのだ」と奮い立っていたという。この意地と努力が、その後の日本の高度成長を支えてきたのである。
「まだまだ日本は貧乏だったけれど、不思議な明るさと未来へのときめきに満ちた時代でした。不安に満ちているいまこそ、この時代に学ぶことはたくさんあると思います」(野地さん)
※女性セブン2011年4月14日号