<戦のわざはひうけし国民を おもふこころにいでたちてきぬ>
巡幸に際してのお気持ちを昭和天皇が詠んだ歌だ。天皇は、戦後まもない1946年から約9年をかけて、沖縄を除く46都道府県、約3万3000kmの巡幸を果たした。宮内庁によれば、天皇が直接声をかけられた人数は、2万人にも達したという。それは、常に国民と共に、国民のためにとの思いからであり、今上天皇の精神にも通じている。
3月30日に都内の避難所・東京武道館(足立区)を訪問された今上天皇。91年の雲仙・普賢岳噴火を始め、北海道南西沖地震、阪神・淡路大震災、新潟県中越地震など、甚大な被害を受けた被災地には必ず訪問されている。避難所の中では、靴下で歩かれ、膝をつき、被災者の視線で優しく声をかけられる姿に、多くの日本人が励まされてきた。今回の行幸啓もまた、然りである。
天皇皇后は、すぐにでも被災地を激励したいというお気持ちを持っている。しかし、未だ進まぬ捜索活動や原発事故対応が難航していることを鑑み、せめて都内の避難所に、との強いご希望から実現したのだ。
「大変な思いをなさいましたね。ご家族は無事ですか? と優しくゆっくりとした口調で話しかけていただきました。とても温かいお心遣いをいただきました」(古川裕子さん・32)
「皇后様から、これから頑張ってくださいとお声をかけていただきました。でも、これからどうしたらいいのやら」(いわき市からの避難者)
被災者は平成の「行幸啓」をじっと見つめ、涙を浮かべる老人もいた。天皇は、震災5日後にはビデオメッセージで被災者に痛切な思いを述べた。また、那須御用邸の入浴施設も開放。「今、国民を励ますことが私たちの務め」と側近に話されたという。今後は、被災地にも直接、出かけるご意向だ。
※週刊ポスト2011年4月15日号