世界的な経営コンサルタント・大前研一氏の英語力は、国際的に活躍する日本人の中でも群を抜いている。その大前氏が、日本の英語教育の問題点を指摘する。
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4月から小学校5・6年生の英語必修化がスタートする。だが、これはやらないほうがいい。今からでもストップする方法はないものか、と私は真剣に案じている。
なぜかと言えば、まず小学校には英語の先生がいない。英語を教えなくていいという理由で、中学校・高校の先生ではなく、小学校の先生になった人が多いとも聞く。だから「小学校英語指導者資格」(NPO小学校英語指導者認定協議会による認定資格。今年1月時点で3万人以上が取得)などという聞いたことのない資格が出現したのだろう。
さらに日本では、英語教員のTOEICの平均スコアが中学校560点、高校620点という統計がある。文部科学省はすべての英語教員に730点以上を求めているが、たとえば韓国でトップ5の大学に合格するためには800点以上が必要だ。
つまり、日本の中学校・高校の英語教員は海外では“英語を教わるレベル”なのだ。ましてや小学校の先生となれば、中学校の英語教員よりさらに低いだろう。つまり、小学校の先生に真っ当な英語を教えられるとは、到底思えないのである。
また、文科省の指導要領に基づいて英語を教えたら、必ず英語ができなくなることも、すでに証明されている。
文科省の教育は、英語も○×式である。しかし、英語はコミュニケーションのツールだから○×はない。それを○×で判定するというのは最悪の教え方である。日本人が中学校・高校で6年間も勉強していながら英語ができない最大の原因は、○×式の教育にあるのだ。
日本人は「○か×か」、すなわち「合っているか間違っているか」という領域に入った途端に緊張する。だから外国人に英語で話しかけようとすると、単語や文法、構文などが合っているかどうかを気にするあまり、言葉が出なくなってしまう人が多い。
その点、たとえばイタリア人の英語は日本人と違って“実戦的”だ。彼らは「通じてナンボ」と思っている。イタリア人の男性がローマの街角でアメリカ人のかわいい女性旅行者を見かけたら、必ず英語で声をかける。間違えることに対する羞恥心がないから、ブロークンでも単語の羅列でも絶対に躊躇しない。
だが、日本人の男性が東京の街角でアメリカ人のかわいい女性旅行者を見かけても、英語で声をかける人はほとんどいない。間違えると恥ずかしいからだ。
つまり日本人は○×式の教育によって、英語についても×をつけられること、間違えることに恐怖を感じる“パブロフの犬”になってしまったのである。
※SAPIO2011年4月20日号