原発事故による放射能漏れの陰で実際に差別問題が起きている。
科学的根拠に基づかない「なんだか危なそう」「何か問題があるに違いない」という偏見は、広島や長崎を含め、放射能による被害を受けながら街を再建し、復興を成し遂げた人々に対する許し難い冒涜にもなる。福島の住民に対する卑劣な差別が起きないよう、正しい知識の普及が必要だ。
すでに「福島差別」は始まっている。狂信的な活動家や一部メディアだけの問題ではない。
厚生労働省は、宿泊施設で、福島から来た客の宿泊拒否が起きていたことを発表している。「スクリーニングを受け、被曝者ではない証明書がないと泊められない」といわれた客がいるというのだ。福島では、避難指示に際して住民の被曝量を検査するスクリーニングが行なわれ、放射性物質が体に付着していた人に対して、それを取り除く「除染」が実施された。
それだけのことだ。なぜ宿泊できないのか。かつてはハンセン病患者に対して同様の差別が起き、国家的な取り組みで克服してきた歴史があるが、残念ながら、危機のなかで国民意識が再び後退してしまった。いうまでもないが、このような差別による宿泊拒否は旅館業法に違反するれっきとした違法行為である。
痛ましいことに、原発近くで発見された津波による被害者の遺体まで、「放射線が除染を必要とするレベルにある」として、収容されないまま放置された。
これも誤解による過剰反応といわざるを得ない。「除染が必要」なのは、その人が周囲に放射線を撒き散らすから、という意味もゼロではないが、基本的には付着した放射性物質によって自分自身が被曝することを防ぐためである。
放射線は距離の2乗に反比例して減る。わかりやすくいうと、放射線を発する放射性物質からの距離が2倍になれば放射線量は4分の1に、10倍になれば100分の1になる。肌に放射性物質が付着している人と、その人から30センチ離れている隣の人とでは、被曝量が何千倍、何万倍も違ってくる。だから「除染」が必要なのであって、亡くなった人に対して「除染が必要なレベル」を論じることは完全に間違っている。
※週刊ポスト2011年4月15日号