宮城県東松島市では他自治体に先駆け、3月22日から土葬を始めている。
市内の火葬場は1日6体が限度で、次々に運ばれる遺体の数にはとうてい追いつかない。ドライアイスを県外からも運び、首の後ろと内臓部分に当てて腐敗を防ごうとしているが、それももはや限界。そこで市は仮埋葬としての土葬に踏み切ったのである。
厚生労働省が遺体の埋火葬手続きに関する特別措置の適用を各県に通知したのは、3月14日のこと。これにより、市町村が発行する埋火葬許可証がなくとも、遺体を火葬や土葬にすることが可能になった。
東松島市の埋葬場所となった矢本クリーンセンター跡地は、市の中心街から山側に外れた場所にある。ゴミ焼却所が廃止になり、たまたま更地の状態だった。
「ここなら1000体ほどが納体できるということで、ここに土葬することを決定した。ご遺体の4分の1は身元が判明し、大半のご遺族の方には土葬の同意をいただいている。1日4回、10体ずつほど土葬し、現在までに140体以上、納体を終えている」(東松島市環境課職員)
東松島市では、死亡届を役所に提出しに来た遺族に、2年後に火葬にするまでの仮埋葬として土葬を提案。遺族も多くが被災しているため、遺体の引き取りようがなく、仕方なく土葬することに合意しているケースも多いという。
遺族が手続きを行なうと、自衛隊がトラックで遺体を埋葬場所に移動させる。トラックから棺が運び出されると、自衛隊員6人が隊列を乱さず丁寧に遺体を埋葬のための穴のある場所まで運ぶ。穴の大きさは縦2m50cm、横1m10cm、深さ80cm。3本の鉄棒でベニヤ板を支えて仕切りを作ってある。
棺を穴に納めると、隊長の「敬礼!」の言葉に、隊員たちが一斉に敬礼すると、またトラックに戻り、一連の“作法”を繰り返す。一体につき、およそ5分。遺族らはそれを待合室で見つめ、自衛隊が立ち去ると、市の職員の指示に従い棺を開けて最期のお別れをする。
棺の中には、「寒いだろうから」と、毛布や上着、白米や飲み物を入れる遺族が多い。一通りのお別れが済むと、棺の蓋を閉じ、そのうえに小菊を添えて、上からシャベルでうっすらと土をかけていく。そして遺族がその場を離れてから、ショベルカーを使って土を盛っていく。
盛り土され、その前に名前が記された板とお供えの小菊が整然と並ぶ様はあたかも造成地のようだが、それでも現場の職員や自衛隊の隊員たちは、精一杯心をこめて遺体を弔う。
2年後には棺を土中から出し、火葬場で火葬することになる。元東京都監察医務院長の上野正彦氏によれば、土中は空気中に比べて腐敗が遅くなるため遺体はミイラ化せず、筋肉や組織が黒ずんでまだ骨にくっついているような状態になっていると考えられるという。
甚大な津波被害のため難航する行方不明者の捜索。その陰で、増え続ける遺体と対峙している人々がいる。
撮影■渡辺利博
※週刊ポスト2011年4月15日号