被災地に残る爪痕を見ると、そこには、報道が強調する「復興」の筋書きでは紡げない現実がある。宮城県岩沼市を歩いたノンフィクション作家・石井光太氏がリポートする。
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車を置いていた空き地を訪れると、消防士たちが木材を燃やして焚き火をしていた。
全身を泥だらけにして、疲れ果てたように地面に座り込んで口をつぐんでいる。薪が燃える音だけがパチパチと響く。
見ると、50歳ぐらいのベテラン消防士が、湿って汚れた手紙を火にかざして乾かしていた。何をしているのだろうか。 彼は炎を見つめながら答えた。
「がれきの山に落ちていた手紙なんだ。結婚式のとき、娘が父親に贈ったものらしいね。式の写真を集めたアルバムに挟まっていたんだよ」
「知り合いの方のものなんですか」
「いや、誰のものかわからない。ただ、見てしまったら捨てることができなくなったんだ。娘がこれまで育ててくれた父親への感謝の言葉を手書きで書き連ねている。ほら、見なさい、こんなかわいらしい気持ちのこもった丸い字で書かれている。
俺も娘がいるから父親がこの手紙を大切にしたいと思う気持ちは苦しいほどわかるんだな。だから、こうして乾かして置いてあげたいんだよ。持ち主が生きていてここを訪れたとき、見つけてくれたらいい」
焚き火の脇には、消防士が拾い集めた泥だらけのアルバムが段ボールに入って置かれていた。ヘドロにまじって転がっていたのを無視することができなかったのだろう、と思った。
私は焚き火に赤く照らされるそれらを見つめながら、どうか持ち主である家族が生きていますように、と心から祈った──。
※週刊ポスト2011年4月15日号