福島県北部に位置する相馬市と南相馬市。放射能騒動に見舞われながらも、不眠不休の働きで「命」を支え続ける医師たちがいる。
同地区医療の中核、公立相馬総合病院の熊佳伸院長が激動の日々を振り返った。
「配電盤が故障してレントゲン室が使えない。水も出ない。地震直後はそこに200人の患者が押し寄せた。まるで野戦病院でした。スタッフも辛かったでしょう。家族が津波に流された人間もいましたから……でも誰も現場を離れなかった」
ロビーに23人の医師全員が集まり緊急体制を敷いた。骨折や低体温症など重症者を優先して医療を施す。
翌日朝6時。病院に地区の開業医が集合、避難所13か所の巡回を決定する。避難所廻りを呼びかけた相馬郡医師会会長の柏村勝利医師が語った。
「避難所に着くと『いま、先生が診察に来てくれました』と放送と拍手で迎えられる。皆さん、『自分たちは見捨てられていない』って涙を流された。医者冥利につきます。医師たちも『こんな時こそ、頑張っぺ』と言い合ってね」
3月14日。更なる混乱が襲った。放射能汚染により福島原発から20~30キロが自宅退避に指定されたのだ。
「退避する医師も出始めました。彼らには家族もいるから、こちらも何もいえない」(柏村医師)
退避か否か。医師たちは逡巡した。南相馬で眼科を営む佐柄英人医師も一度は退避を決意した。だが――。
「年老いた親を連れ南相馬を脱出しようとしているとき、救急車とすれ違った。サイレンの音を聞いて、ハっとしました。俺はこれでいいのかと。親に『俺、病院に戻っていいか』って訊いて引き返したんです」
※週刊ポスト2011年4月22日号