がん治療を克服したジャーナリストで“ニュースの職人”鳥越俊太郎さん(71)。がんに直面したことで「人生の残り時間」を意識。自分が歩いてきた自分史を書きだし、そこから自分がどう死にたいかを書き残すことが遺された家族への最後の思いやり、として綴った1冊『鳥越俊太郎のエンディングノート 葬送曲はショパンでよろしく』(アース・スター・エンターテイメント)が現在発売中。
東日本大震災の2日後に71才の誕生日を迎えた鳥越俊太郎さんは、4月4日、放射能漏れなどで揺れる福島第一原発の正門前に立っていた。持参した放射線量計は118マイクロシーベルトを指したという。
鳥越さんが現場へ行った理由を語る。
「テレビ局員など会社に属している人は、会社の規制がかかっていて、いまは行きたくてもなかなか行けない状態です。ぼくはフリーランスですし、何より、“ニュースの職人”としては、被災地に行って現場を見てこざるをえない」
大丈夫ですか? とたずねる記者に、
「原発、原発ってみんな騒ぎますが、取材では一日中原発のそばに立っているわけではないし、大丈夫です。イランやイラクなどの戦場取材で危ない目に何度も遭いましたが、今回は1日行くだけ。どうってことないです」
新聞記者、週刊誌の編集者、そしてテレビキャスターとフィールドは変われど、いつのときも鳥越さんを突き動かしてきたのは、好奇心だ。ニュースの現場に行ってみたい、見てみたい、聞いてみたい。その気持ちが抑えられないのだと話す。
「ぼくは怖がりですし、恥ずかしがりの、本当に普通の人間です。でも好奇心だけは人一倍強い。その結果、戦場にまで行くわけですが、現地に着いたらその厳しさに、こなきゃよかったな、といつも後悔するんです(苦笑)。ここで弾に当たって命を落とすんだろうか、この好奇心に足をすくわれるんじゃないか、って。そうはならなかったのは、ツイていただけ。そう思います」(鳥越さん)
※女性セブン2011年4月28日号