初出場のマスターズで日本人初のローアマ(ベストアマチュア)に輝いた松山英樹選手(19)にまつわる秘話をノンフィクションライターの柳川悠二氏がリポートする。
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開幕前、松山英樹は、「被災地からやってきたアマチュア選手」という“お客様”に過ぎなかった。だが、その4日後の表彰式では、優勝者と共にゴルフ界のVIPにスタンディングオベーションで祝福されていた。
日本ゴルフ界の新星が世界に認められた瞬間だった。
そもそも松山にとって、マスターズの行われる聖地オーガスタ・ナショナルGCに到着するまでが大きな試練だった。3月11日、大学のある宮城県仙台市を大地震が襲う。東北福祉大ゴルフ部が合宿を行っていたオーストラリアで一報を聞いた松山は出場辞退も覚悟した。
「アマチュアゴルファーである僕が本当に出場していいのか、ずっと悩みました」
当初予定していた便が欠航となり、日本に帰国できたのは震災から1週間以上が経過した20日。総勢53人のゴルフ部員は成田で一時解散し、それぞれの田舎に戻っていったが、松山は支援物資が積まれた大型バスに乗り込み、陸路で10時間かけて仙台に向かった。
「どうしても被災状況を見ておきたかったんです。寮は電気やガスが止まっていて、自分の部屋の中もゴルフクラブなどが倒れて扉が開かない状態でした……仙台に到着しても、僕は何もできませんでした」
松山は避難所となっていた学校の施設に寝泊まりし、日中は学校と寮の周りを右往左往するだけだったという。マスターズを控える大事な調整時期だったが、ゴルフの練習ができるような環境ではなかった。
しかし、4日間の仙台滞在中、所属する東北福祉大学やゴルフ部監督の阿部靖彦のもとには松山を激励するメールやファックスが届いていた。もちろん出場に反対する被災者の声もあったが、出場を嘆願する声の方が圧倒的に多かった。 監督の阿部が明かす。
「いただいた激励の中に、『若い芽を摘まないでほしい』というものがあったんです。マスターズ出場は松山自身が勝ち取った権利。それをテレビで見届けたいという人がひとりでもいらっしゃるなら、出場すべきだと判断しました。ゴルフの練習はできませんでしたが、もし愛媛に戻っていたら、今回の好成績は残せなかったと思います」
アメリカに向かう機内やオーガスタ滞在中、松山は阿部がファイルに綴じていた約100枚の激励文に目を通し力にしていった。
結果、マスターズでは、帝王ジャック・ニクラウス、メジャー14勝のタイガー・ウッズ、そして昨年大会覇者のフィル・ミケルソンの名が刻まれたローアマの銀杯を手にしたのである。
まるで被災者と共に戦っているような4日間を過ごした松山は、今後は再び仙台に戻りボランティア活動を行う予定だ。被災地を回りながら、牛乳配達をするという。再び彼がゴルフクラブを握るのは、5月のゴールデンウイーク後になる。
「いくらマスターズのローアマとはいえ、被災地の学校に通う学生には他にやるべきことがある」(阿部)
※週刊ポスト2011年4月29日号