避難指示区域となった福島第一原発20km圏内の街は今どうなっているのか、ジャーナリストの藤倉善郎氏がリポートする。
* * *
福島第一原子力発電所の原子炉建屋から4.5kmの地点、大熊町の高台に、東京電力の社員寮があった。敷地から、信号もつかなくなったゴーストタウンを見下ろしつつ海側に目をやると、5~6号機の原子炉建屋とおぼしき建造物が見える。
棟の反対側から何人かの若い男性の笑い声が聞こえてきた。裏側の空き地に回ると、白い防護服に身を包んだ4人組。そのうちの1人が海の方に向かってゴルフクラブを振っている。足元にはボールを入れたバケツが置かれ、フォームチェックに余念がない。
実は彼ら、東電社員に頼まれて、車3台に分乗して、寮の家財道具を引き上げに来たのだという。
「本人(部屋の住人)はずっと第一(原発)に行ったまま。いつ帰れるかわかんねぇっていうんで、うちらが頼まれて。これから20km圏内は立ち入り禁止になるかもしれないっていうし」
部屋を出入りしながら、「あのビールは飲めんのかなぁ」「嫁さんの下着は見えないところにしまっとけ」などと声を掛け合う。彼らもまた大熊町の住人で、現在はいわき市小名浜に避難中だ。
「おいテレビ出すぞ、テレビ」の声で、4人がかりで運び出す。
「ヤベぇな、東風だ。(放射性物質が)こっちくるな。帰ろ!」
テレビを車に積み込むと、そそくさと立ち去って行った。ここでの空間線量は毎時約100マイクロシーベルト。ここに10時間いるだけで一般の人が1年間に浴びていい法定限度量に達する。
※週刊ポスト2011年4月29日号