今、国際舞台で活躍している人たちも、最初から英語“ペラペラ”だったわけではない。皆、英語と格闘し、悩み、苦しんだ過去がある。英語を操る多くの日本人研究者に、彼らが体験した「英語の壁」についてインタビューした英文校正サービス会社代表の古屋裕子氏が、その秘話を公開する。
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彼らが本当に苦しんだのは、「話す、聞く」ことだったようです。
『おひとりさまの老後』などで有名な社会学者の上野千鶴子さんは、英語の読み書き能力は自信があり、大学院生時代は仲間の論文を英訳するアルバイトをするくらいでした。
そんな上野さんでさえ、「話す、聞く」の壁は高かったらしく、「英語圏で勝負するのを断念した」と仰っていました。
上野さんは、初めて海外に出たのが、33歳からの米国留学でした。いわく、「日常的な会話が全くできなかったんです。私は一生懸命しゃべっているのに、たとえば、スーパーマーケットのレジのお姉さんがけんもほろろな扱いをするんです。
『Pardon, me? (なんですか?)』、『Say it again(もう一度言ってください)』『I can not hear you(聞き取れませんでした)』、これを1日に1回は必ず言われる。1回ならまだ許容限度でしたが、3回言われたら、精神的に参ります。毎日つらい思いをしました。本気で泣きました」
それでも、さすがは上野さん。「腹をくくって自分をさらけだす」「開き直ってしまえば赤ん坊と同じで『口写し』。相手の言う通りに言う」という方法で耳が慣れると、留学先の環境を物足りなく感じ、ご自身の研究活動にさらなる刺激を求めて、ノースウエスタン大学からシカゴ大学への移籍を自ら願い出ました。
ところがシカゴ大学では、新たな壁に直面したと言います。同大学では、全米から研究者が招かれてスピーチする「マンデー・コロキアム」という公開講演会があり、これが大学の空きポストの教員採用試験になっているそうです。ですから、真剣勝負。
「スピーチが終わるとディスカッションがあり、そのあとの質問タイムも壮絶。大学院生や若手研究者が、先輩格のスピーカーの揚げ足を取るような意地の悪い質問をする。いかに相手のスキをつくか、虎視眈々と狙って。そういう時に、一流の研究者は、真正面から受けてロジカルに答える場合もあれば、フェイントをかけたり、逆襲したり、わざと答えなかったりとか」
それを間近で見ていた上野さんは「これは、英語では太刀打ちできない」とつくづく感じたそうです。
「日本語だったら絶対に負けないのにという自信があったから悔しかった」という思いをバネに、帰国後の上野さんが八面六臂の活躍をされているのはご存じの通りです。
※SAPIO2011年4月20日号