南三陸町の避難所では、あるテレビ局の取材を受けたという30代女性が複雑な表情を浮かべた。
「キャスターの人に“いま、ほしいものは?”と聞かれて、いろいろ頭に浮かんだ挙げ句、“ふりかけと目覚まし時計”と答えてしまいました。本当は一番ほしいのは、失くしてしまった“家と車”。でもそんなことをいっても手に入るわけもないし虚しくなるばかりだから。テレビ局の人も、実際にこの状況に身を置いてみないと、わかるわけがないですよ」
原発事故の影響で避難生活を余儀なくされている住民たちの心境は、さらに複雑だ。
山形県に避難している福島県浪江町の50代女性は、ハローワークに通う毎日。しかし、いくら面接を受けても仕事は見つからない。
「福島の人は放射能のことで差別を受けるという話も聞きますし、もしかして私の仕事が全然決まらないのも、そのせいなんじゃないかって疑心暗鬼になります。期待をもたせるような言葉はもういりません。“一人じゃない”なんて甘いことより、むしろもう“ダメならダメ”と、はっきりいってほしい」
※週刊ポスト2011年4月29日号