ソフトバンク社長・孫正義氏の「志」に迫った本誌連載『あんぽん孫正義伝』。連載終了と同時に日本を国難が襲った。孫氏は次々と被災者支援を打ち出す。以下は、『あんぽん』筆者の佐野眞一氏(ノンフィクション作家)と孫氏の一問一答である。
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――ところで、3月11日の大地震のとき、孫さんはどこにいましたか?
「社長室の会議室で、スタッフとプロジェクトのミーティングをしていました。突然、大きな揺れがきて、テーブルの下に潜りましたよ。その後すぐに『テレビをつけろ』といって、NHKを観ていました。最初は津波が来るといってもさざ波みたいでしたが、あれよあれよというまに、どんどん船や家や車が流され始めた。頭が真っ白になり、しばらく呆然としていました。部屋には5、6人いたけど、全員無言。それから1時間くらいは茫然自失で腰が抜けたようになって動けなかった。
もちろん、うちのネットワークは大丈夫か、社員は、お客さんは大丈夫かといったことは気になりました。でも、その瞬間から電話がつながらなかった」
――いざというときに携帯がつながらない。
「携帯も固定も、普通は1人当たり1日平均3分くらいしか使わないんです。各社ともその10倍くらいのキャパシティは持っているんですが、100倍のキャパは用意していない。あのときはキャパシティを完全に超えて、電話は各社ともストップしてしまった」
――携帯電話会社の社長でさえ、連絡がとれない状態だったということですか。
「ええ。エレベーターも止まっていたので下の階にいるうちの技術部門のヘッドの連中が、10分おきくらいに『どこどこが倒れました』と状況報告にくる。階段を駆け上り息を切らして、ゼーゼーいいながら」
――倒れたというのは、通信アンテナが倒れたということですか?
「いいえ。ネットワークが止まったということです。物理的に、どこがぶっ倒れたというのはわからない。通信の信号が止まった。それから、電気が止まったと。この時、電気がないと通信はつながらないんだということを、改めて理解しました。腹の底からね」
※週刊ポスト2011年5月6日・13日号