「国や国民のために尽くす」――天皇陛下がこれまで度々会見で話された言葉が、今この震災下ほど深い実感をもって感じられることはない。ご高齢の身を押して、避難所へ、被災地へと回り、一人一人に腰を折り膝をついて話をされるその姿に、被災者たちからは感動の声が聞かれた。文芸評論家の富岡幸一郎が報告する。
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四月八日、天皇皇后両陛下は福島県双葉町の住民約千四百人が避難している埼玉県加須市の旧騎西高校を訪問された。またそれに先立ち三月三十日の午後には、東京武道館に避難してきた人々を見舞っている。
ついたてや段ボールで仕切られた床や畳にひざをつき、一人ひとりに声をかけられる天皇は緑色のジャンパー姿、皇后は青い上着を着ておられ、被災者の話を熱心に聞かれるその姿は、困難と悲しみに沈む人々に寄り添う姿勢そのものであった。
天皇は被災した現地に一日も早く入って人々を励ましたいとの思いを持たれたが、被害甚大のさなか行けば警備などで負担をかけると判断され、まずは都内でのお見舞いとなった。
家族が身を寄せる区画を一つずつ回られ「本当にご心配でしょう」「ご家族は大丈夫ですか」「夜は寝られますか」と声をかけられる天皇。乳幼児を抱える母親に「ミルクやおむつはあるの?」と質問され、子供の前でお手玉をされたりする皇后の優しいいたわりの思いに多くの人々が励まされ、感動のあまり涙を浮かべる人の姿もあった。
両陛下は自ら身を低くされ座っている人々と同じ目線を合わせて、声をかけられる。その言葉と姿勢は、国民と共にある皇室ということをつね日頃から深く思い自覚されているからこそできるのだろう。
四月十四日には、津波被害を受け十三人が亡くなった千葉県旭市の避難所二カ所を訪れた。両陛下が直接の被災地に入られるのは初めてであったが、出迎えた住民に「怖かったでしょう」「大丈夫ですか」と声をかけられ、津波で犠牲者が出た住宅跡の現場では並んで一礼をされた。
公民館では両陛下が時に正座しながら避難者の話に耳を傾けられ、行き帰りの沿道でも住民の姿を見つけると車中で立って手を振る気遣いを見せられた。
被災地への歴訪は、四月下旬から五月中旬にかけて茨城、宮城、岩手、福島の四県を順次回られる予定であるというが、これは今上天皇による平成の巡幸となるだろう。
自然災害などの大規模な被害を受けた被災地に、励ましと復興の視察の目的で今上天皇が入られるのは、再訪もふくめると即位後十回以上を数える。平成三年の雲仙・普賢岳(長崎)では、現地の負担にならないようにと日帰りの訪問という強行スケジュールを選ばれた。そして、今回もそうであるように、避難所の床にひざをつき被災者と直接に向き合って励ましの言葉をかけられている。
※週刊ポスト2011年5月6日・13日号