「国や国民のために尽くす」――天皇陛下がこれまで度々会見で話された言葉が、今この震災下ほど深い実感をもって感じられることはない。ご高齢の身を押して、避難所へ、被災地へと回り、一人一人に腰を折り膝をついて話をされるその姿に、被災者たちからは感動の声が聞かれた。文芸評論家の富岡幸一郎が報告する。
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天皇の死者を悼み、艱難のなかにある国民を思い見舞う姿には、先帝である昭和天皇の終戦後昭和二十一年二月から足掛け八年半、三万三千キロにも及ぶ全国巡幸を想起させる。
昭和天皇の最初の訪問先は、空襲の被害のなかから復興した川崎市の昭和電工川崎工場であったが、これを皮切りに返還前の沖縄をのぞく四十六都道府県をくまなく回られ、天皇が直接に声をかけられた人数は二万人に達したという。
GHQは戦争責任を追及されるかも知れない天皇が国民の非難を浴びるのではないかと思いこみ巡幸を許可したといわれているが、現人神であった天皇自らが敗戦後の困難のうちにある国民に親しく接し、肉声で言葉をかけられたことは、計り知れない勇気と復興への希望を与えた。
<ふりつもるみ雪にたへていろかへぬ 松ぞををしき人もかくあれ>
この昭和二十一年の敗戦直後に詠まれた歌の励ましの力が、巡幸に際しての、<戦のわざわひうけし国民を おもふ心にいでたちて来ぬ>という御製へと響き合い、被災地や戦災孤児の施設、傷痍軍人の入院する病院、また学校、工場、農村など全国津々浦々を歩かれる昭和天皇の実際の行動となった。
※週刊ポスト2011年5月6日・13日号