東日本大震災の後、日本中に「自粛ムード」が漂っていた。そして、東京からは多くの外国人が去っていった。余震に加え、原発事故という、かなり特殊な状況下で、人々の気持ちはどう揺れ動いていのか。ノンフィクション作家・河合香織氏がレポートする。
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ある小学校では、東日本大震災後に東京から「疎開」した子供が、「自分だけ逃げるとは何なんだ」と教師から叱責されたという。震災という特殊な状況下で、避難した人と、避難しなかった人の温度差が表面化したのだ。
こうした感覚は、義援金の額を公表するかどうかといった問題にも波及していたように思える。売名行為だと決めつけ、印税を寄付すると公表した作家を非難する言葉も聞いた。「そんなことはいわずに黙ってやればいいのに」と。
しかし、それを公表するかどうかは、避難するかと同様に、人それぞれの考えだ。わざわざそれを責めるような意見をいってしまうところに、何かが隠れているのかもしれない。
作家の綿矢りささん(27)は100万円の義援金を寄付したことを公表した。ペ・ヨンジュンなどの海外の著名人や、あるいはアフガニスタンなどの貧しい国が、日本に多額の義援金を素早く送っている姿を見て、居ても立ってもいられない衝動に襲われたのだという。
「数千万円、数億円といった大きい金額ではないこともあって公表するか迷いました。しかし、私自身、義援金のことを報道で知ったことが自分の行動のきっかけだったこともあり、別の誰かのきっかけになれればと思いました」(綿矢さん)
そして、義援金に関する議論があることを肯定的に捉えているという。
「そのような議論があるのはとても良いことだと思います。というのは、震災に関心を持ち続けるのは難しいから。その関心の火を消さないようにする発火剤に、それらの議論がなるのであればいいのではないでしょうか。何よりの問題は無関心だと思います」
綿矢さんは震災からほぼ1か月経ってから、地元・京都で行われた物資仕分けのボランティアに参加した。しかし、思いのほか物資は集まってこずに、ほとんどできることもなかったのだという。最初は集まった支援の手が、今後継続されるかどうかの瀬戸際に立たされているのかもしれない。
現地にボランティアに行く人たちもいまは少なくないが、では半年後、1年後はどうだろうか。止まっていたエスカレーターも、便座を温める機器もいまは元通りになっている。今回の地震は「未曾有」だといわれ続けてきた。しかし、時間を経ることで、忘れられることも少なくないのではないか。今回のこの痛みが、のど元過ぎれば忘れられることになってしまうわけにはいかない。
※女性セブン2011年5月12日・19日号