宮城県の牡鹿半島。津波は海岸沿いの漁村を一瞬にしてさらった。入り組んだ地形ゆえ復旧は進まず、傷跡は生々しく残っている。そんな海岸地帯を取材する記者は不思議な光景を目にした。お年寄り10数名が避難所に集い、釜炊きご飯の炊き出しを行なっている。70過ぎと見られるお婆さんが、破顔していう。
「まぁまぁ、よくここまで来たわねェ。いらっしゃい」
ボランティアや自衛隊の姿はどこにも見当たらない。小竹浜(石巻市)の、この集落は総戸数約50戸。住人の多くが70歳超のお年寄りの超高齢地帯だという。
3月11日。津波は9戸の家屋と漁協事務所を押し流した。道が不通となり自衛隊の救助は3日間訪れなかったという。しかし――。
「浜辺の方が一人亡くなったけど、あとは無事だったなァ。オラんとこは60年前に大火事にあってから防災組織がしっかりしてんだ。区長のほかに防災会長も決めて訓練をやって。男が漁にでた時は女子供で火を消せるさァ。地震の時もすぐに高台に避難したよ」
震災後、旧小学校の体育館に46世帯が集まった。もともと緊密な結束があったため、調理係、物資調達係などの役割を分担した。すぐに避難所生活に順応した。
食糧も1週間分備蓄しており不自由はなかった。82歳の元漁師が語る。
「漁船用燃料が十分にあったから、ずっとストーブにあたっていたね。流された家から、プロパンガスを持ってきて煮炊きもすぐにやったなァ。村の奴らは、文明から切り離されて生きてきたから、なんてことねえさァ(笑い)。元から“ぽっとん便所”だったから水道が止まったからといって支障はねえ」
何よりも、この村のお年寄りは英気に充ちている。記者は、前を歩く大きな荷物を抱える82歳のお婆さんを手助けしようとした。だが、「んなぁ大げさなぁ」と丁寧に断わられる。
「こないだ役所から、やろっこ(若者)がきだけど軟弱でなァ。坂上るだけで息切れすんだ。最近のやろっこはすぐに車乗っからよォ」
村には若者と呼べる人間はほとんどいない。村人の子や孫は市街で暮らしている。今回の震災で大活躍した74歳の防災会長はいう。
「息子たちは、街のほうにいて、こっちに避難して来いといっている。でも、ここを離れるわけにはいかない。オラたちは海の世話になってきたんだからなァ」
お年寄りたちだけで運営される奇跡の避難所。彼らの顔に刻まれた深い皺は、重ねた齢以上に海の民の強かさを感じさせた。
※週刊ポスト2011年5月6日・13日号