東日本大震災は、人類とテクノロジーの関係に大転換を迫っている。大前研一氏は、そう指摘する。そして、福島第一原発事故「最大の教訓」とは何か。以下は、大前氏の指摘である。
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福島第一原発事故の教訓は、確率論を超える現実があるということだ。大地震が三陸沖で起きる確率、その大地震で津波が発生する確率、その津波の最大値は設定できる。だが、今回の津波は最悪の想定をはるかに超える過去に例のないスケールだった。
さらに、建屋の地下が水浸しになって非常用のディーゼル発電機が使用不能になり、全電源を喪失してしまった。これらすべてが一度に起きるという確率は通常、限りなくゼロに近い。畢竟(ひっきょう)、「悪いことが起きる時は最悪のタイミングと最悪のコースで起きる」という「マーフィーの法則」だけが証明され、確率論の限界が誰の目にも明らかになった。
では、原子炉エンジニアたちに瑕疵がなかったかといえば、断じてそうではない。彼らの知的怠慢が事故を招いた面は否定できない。
エンジニアは常に“最悪の事態”を想定して原子炉を設計・製造してきた。その象徴が格納容器だ。経済的な合理性からコストの高い格納容器は不要と判断したフランス(増殖炉)や旧ソ連と異なり、アメリカや日本は万々が一に備えてその採用を決定した。
確率論の世界で想定できる安全対策をすべて講じる過程で200億円をかけて格納容器を作り、「だから安全です」と地元住民を説得してきた。
ただし彼らは“最悪の事態”を「炉心が暴走した場合」に限定していた。格納容器は、メルトダウン(炉心溶融)が起きても放射性物質が外に出ないよう原子炉の中に閉じ込めておくためのものである。1979年のアメリカ・スリーマイル島原発事故ではそれが見事に機能し、メルトダウンが起きたものの放射性物質は格納容器に収まった。
ところが、今回の事故は格納容器の「外」で発生した。電源を全部喪失して冷却機能がなくなっただけでなく、使用済み核燃料を新品の核燃料と一緒に原子炉の隣の貯蔵プールに入れていたため温度が上がり水蒸気爆発や水素爆発を引き起こす事態に至ったのである。
※週刊ポスト2011年5月6日・13日号