『花と蛇』『美少年』などで知られる官能小説作家の団鬼六氏はは長年にわたって官能小説の第一人者として活躍してきた。団氏は、「昨今のエロス」について本誌にこう語っていた。(週刊ポスト2010年10月29日号より)
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私は少年時代、友人らが江戸川乱歩の『怪人二十面相』や『少年探偵団』を読む傍らで、『屋根裏の散歩者』『D坂の殺人事件』などの成人向けの乱歩の作品を貪るように読んでいた。人間心理に潜む異常性を追求し、マゾヒズムの極致ともいえる『人間椅子』が秀逸であるのはもちろんのこと、『押絵と旅する男』は単なる怪奇事件の枠を超え、独立した夢幻の官能世界を作り上げているという意味でとくに好きな作品である。
どの作品も乾きと湿り気、幻想と倫理、サディズムとマゾヒズムが混在する世界が広がり、妖しい胸のときめきを感じたものだ。「わ印(※)」には根源的なエロスがあり、リアルな描写の中に創造の羽を広げることを許す、大いなる可能性が存在したのだ。
しかし、昨今の若いエロスマニアには、こうした作品は物足りなく、理解に苦しむ人もいるだろう。現代のエロスは倒錯時代に入っている。性文化とポルノの垣根が取り払われ、若者を中心にエロスの価値観があまりに細分化、多岐化していく中で、作家のエロスと読者のそれが接点を持てなくなっているのだ。
いわば、一人ひとりがエロスのカプセルを持ち、その中に閉じこもって他には見向きもしない状態にある。女子高校生が自らの下着を売り、出会い系サイトで見知らぬ男女が交際し、SMクラブが氾濫する時代に、古き良きエロスなど通用しないかもしれない。
※「わ印」=江戸時代からある「春画」「秘画」の隠語