昭和54年、“口裂け女”が日本列島を席捲したが、あの頃はどんな状況だったのだろうか。今さらながら振り返ってみよう。(女性セブン1988年2月11日号より)
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“口裂け女”が出現して、噂が噂を呼び、全国に飛び火したのが、昭和54年のことだった。研ナオコら口の大きい芸能人が“犯人”扱いされて、カンカンになって怒ったと話題になったものである。ところで、“口裂け女”の発生地は、岐阜といわれている。
「あの女は、柳ヶ瀬の川のほとりで休んでいたんですよ。そこに柳の木があり、酔っ払いが“よう、そこのねえさん、マスクなんかして、風邪でもひいたのかい”と声をかけたんです。そこで女がパッとマスクをとったら、耳まで裂けた口が出てきたというのがルーツです」と、当時のマスコミに報じられている。
“口裂け女は3人姉妹で、美容整形を受けて失敗。そのショックで入院したのだが、その病院を抜け出して全国に出没するようになった”と噂が広まった。さらに、タクシーにも乗ってきて、運転手を驚かしたという噂も伝わった。
この科学万能時代に、新しい民話が誕生。小学生のあいだにも広がり、学校でも問題化して、警察が実態調査したほど、噂がひとり歩きしてしまったのである。
岐阜から京都、宮崎に飛び火して、新潟、千葉、埼玉、そして東京という経路をたどっている。妖怪公害といわれた“口裂け女”騒動は、“人の噂も75日”で終結を迎えた。