早坂牧子(はやさか・まきこ)さんは、1981年東京生まれ。2005年、仙台放送にアナウンサーとして入社。スポーツ、情報番組で活躍する。3月11日、仙台で東日本大震災に直面した彼女は、どのように仕事し、何を悩み、そして考えたのか。以下は、早坂さんによる、全7編のリポートである。(早坂さんは2011年4月、同社を退職、フリーアナウンサーとして再出発した)
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沿岸部の現実を直にこの目で見て、私の取材姿勢は変わりました。
避難所で気軽にマイクを向けてはいけない。私はなにか厳かなものを背負った。背負いすぎてはいけないんでしょうが、でもこれは地元メディアで働く者として背負わなければならない。
沿岸部の避難所で暮らしている方から「あなたは家も家族も失っていないでしょう」と言われるかもしれない。家族を失った人の気持ちに寄り添うことは出来ても、その人の気持ちにはなれない。いくら私が涙を流してもその人は喜ばない。なに泣いているの、あなたはなにを失ったのかと言われたら何も返せない。
でも私のリポートを見て、他の地域の人がなにかを感じてくれるかもしれない。もしかしたら支援に立ち上がってくれるかもしれない。その気持ちを分かち合うことで少しでも負担を軽減できるかもしれない。それが私の取材だと思いました。
震災の取材中、ずっと私は「苦しんでいる被災者にマイクを向けるのはどういう意味があるのか」「地元メディアの私はなにが出来るのか」、自分に問いかけてきました。
その「答え」がひとつ見つかったのは、4月12日、プロ野球開幕試合を観戦している避難民の方を取材したときです。あの日は地元プロ野球団の楽天イーグルスの千葉での開幕試合を、避難所である若林体育館のテレビで観戦している人たちを取材しました。そこへ試合の結果だけ見に来たおじいちゃんが、こう漏らしたのです。
「プロ野球をまた見られるのは嬉しいけれど、瓦礫の撤去作業している人や遺体安置所に自分の家族を確認しに行く人もいるから、その人たちの気持ちを思うと、3時間もテレビの前にどっかり座って観戦する気分になれないんだよね」
その夜のスポーツ番組で、私は開幕試合の特集の後に20秒だけ自分のコメントを話す時間を与えられていました。通称「後コメ」と言われるものです。そこで
「岩隈投手が見事開幕戦で勝利を挙げました。勝ったことで被災者の方たちを野球で応援しようという気持ちが伝わったと思います」
みたいなことをコメントしたんです。でも、それは実は最後まで悩んでいたんですね。応援されたという声は避難所で確かに聞いていたので間違いではないのですが、私にはあのおじいさんのつぶやきがずっと残っていた。番組終了後も録画してある自分の後コメを見直していたら、そこへ先輩のアナウンサーがひょっこり顔を出しました。
「早坂さ、今日の『後コメ』は自分で考えたの?」
「はい、そうです」
「そうか……。取材したときに他に得たことが無かった?」
それでそのおじいさんのことを話したら
「それだよ! なぜそれを言わなかったんだ!」
その指摘で初めて、私はプロ野球開幕を見る被災者さんたちの気持ちの一部分しか伝えていなかったことに気づいたのです。
よく「支援の輪が広がっています」とか「復興に向かってみんな頑張ってます」という報道があります。たしかに全体の雰囲気、方向としては間違ってはいない。だけど、今だに家族を失った衝撃から立ち上がれない人もいる。復興という言葉の前に呆然と立ち尽くしている人もいる。そんな人たちに「がんばろう」と笑顔で肩を抱くことなど出来無い。
全体の雰囲気の中でうずくまり背を向けている「小さな声」を拾って伝えることこそが、地元放送局で働く私の意義ではなかったのか。「後コメ」の20秒の中の10秒でも5秒でも使って、あのおじいさんのつぶやきを伝えるべきだった。その日の夜、私は一睡も出来なかった。(つづく)