早坂牧子(はやさか・まきこ)さんは、1981年東京生まれ。2005年、仙台放送にアナウンサーとして入社。スポーツ、情報番組で活躍する。3月11日、仙台で東日本大震災に直面した彼女は、どのように仕事し、何を悩み、そして考えたのか。以下は、早坂さんによる、全7編のリポートである。(早坂さんは2011年4月、同社を退職、フリーアナウンサーとして再出発した)
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「おう、生きとったか。ワシや」
地震からしばらくたって、ようやく街が落ち着きを取り戻したころ、歩いていた私の携帯から懐かしい声が飛び込んできました。楽天イーグルスの前監督、野村克也さんです。
野村監督とは楽天の取材のときにお世話になり、監督をお辞めになった直後、石巻市で開かれた講演会で私が司会を務めたご縁がありました。それで安否を気遣ってわざわざお電話をくださったのです。
「東京も揺れたからな、あのときはワシも死ぬかと思ったで」
監督に「お仕事でご一緒させていただいた石巻市の講演会場も、津波に襲われて大変です」と伝えると、監督は
「そうか、もう……言葉も出ないな……」
震災は被災地だけではなく、多くの人々の心に爪痕を残したと思います。
この4月で私は6年間勤めた仙台放送を退職しました。自分の将来を考えての決断で、地震の前の1月に決まっていました。とはいえ、やはり心残りです。いったん宮城県から離れますが、しばらくは支援活動などボランティアで、被災者の方たちを支え続けたいと考えています。(了)