津波で多くの犠牲者が出た福島県南相馬市は、20km圏内の「警戒区域」、20km圏の外側にありながら放射性物質濃度の積算量が高水準に達する恐れがあるため避難が呼びかけられている「計画的避難区域」、さらに20~30km圏にあり、緊急時には屋内退避や避難ができるように準備が求められている「緊急時避難準備区域」に、市内が分断されてしまった。同市にはいずれの区域にも属さない「安全区域」もあり、これで4分割されたことになる。
もともと三市が合併した南相馬市は、原発に近い地域から小高区、原町区、鹿島区に分かれる。約7万人の住民は一時期2万人まで減ったが、最近は約3万~4万人まで回復したという。
ほとんどが“安全圏”に含まれる鹿島区に住む看護師のTさん(29才)は地震後、新潟県内の避難所に身を寄せた。仕事柄、早く南相馬市に戻って人の役に立ちたいと思っていたTさんだが、一緒に避難した両親からは「福島には絶対帰るな」と念を押された。
しかし時間が経つにつれ、市民が少しずつ戻り始めたのを知り、帰宅を決意。避難所には20km圏内の小高区の住民が多く、「私は帰る」とはいい出しづらかったと語る。
「自分だけ30km圏外の鹿島区だったので、『この人たちに比べたら全然大したことないのに』と申し訳なかったです。それでこっそり荷物をまとめました。避難中は不安で悩んでばかりだったけど、帰ってきたら仕事もあるし、病院で人を助けることもできます」
海岸近くに津波の傷跡はまだ残るが、復興に向けてわずかに動きだしたと感じる。
Tさんには長年交際する恋人がいる。福島第二原発で働く恋人は、Tさんが新潟から帰った翌日、プリンを持って勤務先の病院を訪れた。週末にデートする普通の日々が戻りつつある。
「私はこの町が好き。放射線は怖いし外出にマスクは欠かせないけど、たとえ被曝してもここで生活していきたい。原発で私の人生計画はめちゃめちゃになったけど、『ここで死ねたらいいね』という気持ちは彼にもあると思います」(Tさん)
※女性セブン2011年5月12日・19日号