大震災を機に、橋下徹・大阪府知事の存在がクローズアップされている。同氏の「大阪都」構想は当初の目的から、大きくその役割を広げようとしている。そして、その“先”に待っているものとは何か。ジャーナリストの武冨薫氏がレポートする。
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橋下徹氏が知事就任直後から道州制を唱えてきたのは、国際競争力のある広域都市圏ネットワークの再構築、つまり大阪メガロポリスづくりを視野に入れていたからだと思われる。それには、発信力がある橋下氏が自ら「関西州首相」として先頭に立つのが早道だ。
さらにその上で、橋下氏が大阪メガロポリスへの道筋を引くことができればどうなるか。危機の中、菅直人首相を筆頭に、リーダーシップなき政権が続き、“人材不足”が叫ばれる中央政界に失望した国民の間から、本当の「橋下首相待望論」まで高まる可能性が十分ある。現実問題として、道州制など地方への思い切った権限移譲は、国政を動かさなければ実現できない。
司馬遼太郎のエッセイ『この国のかたち』の中で、大久保利通が東京遷都を決断した時のエピソードが出てくる。
大久保の宿所に投書があり、首都を浪華(大阪)ではなく、江戸(東京)にすべき理由が、「浪華はべつに帝都にならなくても、依然本邦の大市である。江戸は帝都にならなければ、百万市民四散して、一寒市になりはてる」と、指摘されていた。
昔からの商都・大阪は首都でなくても繁栄するが、幕府の中心として開発された江戸は、政治の中心でなくなれば衰退するという指摘だった。書いたのは若かりし前島密だという。
だが、遷都から140年余り、東京では都市インフラの集積が進み、たとえ首都機能が移転しても「寒市」にはなるまい。むしろ、道州制で中央政府の権限を大幅に減らし、全国に分散すれば、霞が関はじめ東京の都心部に広大な遊休地が生まれ、都市機能の再構築を図るチャンスになる。
震災による「東北復興」の一方で進む橋下氏のリーダーシップ、さらに“首相となる日”へと繋がる動きは、日本全体の都市再生へと結びつく可能性さえ秘めている。
※SAPIO2011年5月25日号