食肉文化は、捕鯨問題をはじめ、文化的衝突を生むもと。しかし、肉を喰うという行為は、原始時代から続く人類の営みだ。アフリカの奥地を旅してきた辺境作家・高野秀行氏、3匹の子豚を飼ったイラストルポライター・内澤旬子氏、奥多摩の山奥で狩猟を行なうサバイバル登山家・服部文祥氏。異色の書き手3人が、両国の獣肉料理屋で「命を戴く」意義について考えた。
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内澤:私は猿を食べたことがないのですが、美味しいんですか?
高野:猿は美味いですよ。でもやっぱり想像通り臭味があって、初めて食べた時は猿臭いと思った。
内澤:猿臭さ、っていうのがどんななのか分かんないんですけど(笑)。
高野:食べてみれば分かりますよ。本当に猿臭いとしかいいようのない臭味だから。
服部:肝も食べられますか?
高野:はい。猿の肝臓や腎臓は小さいので、雰囲気としては鳥のブツ切りが出てきた、という感じですね。興味深いのは村の人が猿をドーンっと持ってきたとき、みんなで品評をし合っているの。「脂がのってる」とか「毛並みがいい」とか、って。で、聞いていると、コンゴで「脂がのっている」というのは美味いという意味なんです。
服部:猿食は日本にも残っていますよね。僕の所属している鉄砲衆のメンバーにこういわれたことがあります。「とりあえず猿を食べてみろ。三日三晩は勃ちっぱなしだぞ」と。
高野:そんなわけないでしょう。だって俺なんか毎日食ってたけど、そんなことはなかったから。
内澤:ははは(笑)。
※週刊ポスト2011年5月20日号