地震から3週間後に避難所を訪ね、初めて直接被災者の声を聞いた菅首相。復興策も政治主導によるリーダーシップどころか、対策本部の乱立で混乱している。
1999年9月21日に発生した台湾大地震で、当時総統だった李登輝氏は、毎日のように被災地を訪ね、国民の声に耳を傾け続けた。こうした国難に直面した時にリーダーはどのように行動すべきか。
菅首相は、3月12日、ヘリで被災地を上空視察し、福島第一原発を訪問。避難所を初めて訪れたのは、震災から3週間後の4月2日だった。震災から40日間で、被災地視察は4回(うち被災者と会ったのは3回)。
李登輝氏は、地震発生当日に現地を視察。発生から20日間で、18日を被災者や被災地の視察に割いた。不安のどん底にいる被災者にとって、復旧にあたる指揮官と直接向き合い、自分たちの要求を伝えられたことが、どれだけの救いになったかは想像に難くない。
以下、李氏による当時の振り返りだ。
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私は台湾大地震の当日から被災地をこの目で見ることに努めた。官邸を動かず、あがってくる情報だけ耳に入れていても、本当の問題は見えてこない。
私はスタッフ全員にこう求めた。
「被災現場に行くことなしに、台北のオフィスのみで政策を決定してはならない」
被災現場を見ずして有効な措置を策定することはできないと考えたからだ。当然、現場では、政府への批判があるだろう。だが事実に反する批判には耳を傾ける必要はない。それよりも被災者の本当の声に耳を傾けよう、と。それを支援と復興に生かそう、と。
私は被災地で、被災者から多くのことを学び、多くの示唆をもらった。
視察には、常に2人の部下を同行させた。国軍の参謀総長(日本でいう統合幕僚長)と、総統府秘書長(同、官房長官)だ。軍と行政のトップが同行するので、その場ですぐに指示が的確かつ迅速に出せるのだ。
被災地の視察では、例えば枝野幸男官房長官を同行させてもよかったのではないか。そのかわり震災担当の広報マンを置き、官房長官には行政上の処理に専念させるのだ。
※SAPIO2011年5月25日号