3月11日の巨大津波により、岩手県の陸前高田市と大槌町、宮城県の南三陸町と女川町で、戸籍データ3万8000件が流失した。戸籍法に基づき、法務省が「副本」を管理しているため再製可能だが、江田五月法相は、同様の事態が再び起きないよう、戸籍の全国ネットワーク化を検討する考えを示している。しかし、「この問題をデータのリスク管理というレベルの話で終わらせてはならない」と指摘するのは、大前研一氏だ。大前氏は、長年政治課題として俎上に上がっている「電子政府」構築の契機とすべきであると主張する。
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日本の国民データベース(DB)が抱える“時代遅れ”のひとつに、明治時代から連綿と続く戸籍制度がある。
「家」を基礎単位とするこの制度は、「生まれながらにして平等」を謳った日本国憲法にも違反している。憲法では個人と国家の関係しか規定していない上、家という概念そのものを否定している。にもかかわらず、法律上の婚姻関係のない男女の間に生まれた子供を「非嫡出子」として差別する構造を内包している。
たとえば、米国籍の私の妻は、住民票には記載されていても大前家の戸籍には入っていない。日本国籍を有しないので当たり前ということもできるが、住民票には記載され、当然納税義務を負っている。だが、私の戸籍謄本の欄外に、米国籍のジャネット何某と結婚、と書いてあるだけだ。
戸籍上、私の子供たちには母親がいないのである。そんなバカげた話はないだろう。ここ数年の婚姻を見ると、10組に1組は国際結婚だから、この問題は決して“小さな問題”ではない。
かたや戸籍がそれほど神聖なものかというとそうでもない。「本籍」は出生地や現住所と関係なく国内(日本が領有権を主張しているところを含む)ならどこへ届け出てもよく、変更も自由である。このため本籍を皇居や富士山の山頂に置いている輩もいる。つまり、戸籍制度は法律的には厳格でも実態と乖離し、形骸化しているのだ。
住民基本台帳ネットワークはこうした問題を部分的に解決するために作られたものの、国民DBを構築するといった明確なビジョンがないため、ITゼネコンの草刈り場と化し、フォーマットなどが市区町村によってバラバラになってしまった。
しかも、2003年に交付が始まった住民基本台帳カードの累計交付枚数は、2010年末現在で510万9285枚(総務省公表値)でしかない。日本の人口のわずか4%でしかなく、未だ住基ネットが有効利用された形跡もない。
その維持のために年間約140億円の税金が使われているが、それは結局、ITゼネコンを儲けさせているだけである。
※週刊ポスト2011年5月27日号