2005年に発売された故・児玉清氏の回想録『負けるのは美しく』(集英社)――上品で温厚で知的なイメージのある児玉氏が同書で描いた自画像は意外や意外、コンプレックスにまみれ、敗北に敗北を重ねた負け犬の相貌であった。児玉氏が同書発売当時に語っていた思いを紹介する。(週刊ポスト2005年11月4日号より)
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そもそも俳優という商売はどこまで行っても後悔の連続で、これという答えがないものですから、と児玉氏はいう。
「思えば僕の役者人生は負けばかり。自分で自分が勝ったと思えることなんて、1度としてありませんね。それでも闘っては負け、闘っては負けを繰り返し、敗北感、絶望感に常に打ちひしがれてきた」(児玉氏)
役者とはそういうものだと人はいうかもしれない。だがその役者に、なりきれなくてもがき、懊悩した日々を児玉氏は本書に綴るのである。学習院大学を卒業後、母の死によって大学院進学を断念し、ひょんなことから受けた東宝ニューフェイスに合格。
「翌年の新卒採用までの、ほんの腰かけ程度の気持ちで」
映画界に入り、1961年にデビューを果たしたものの、その後は大部屋生活が続いた。ろくに人として扱われない日々に嫌気がさし、何度もやめようと思ったが、それはロケで訪れた博多の街に、同い年の某スター氏とくりだしたときのこと。ある店でサインを求められたスター氏が、児玉氏にも色紙を差し出した店員にこう言い放ったのだ。
<この人は雑魚だからサインして貰っても仕方がないよ>――。
<雑魚が雑魚と言われて怒るのもおかしいが><もし、僕がこのまま俳優をやめたら、いつまで経ってもあいつは雑魚だったで終ってしまう><こうなったら意地でも俳優に踏みとどまってギャフンと言わせてやるぞ>
「僕にはどうもそういう生意気なところがあるんだなあ。雑魚は殴られ、罵倒されて当然の現場でも、何かにつけて反発し、バカヤローと襟首を掴まれると、僕の襟首を掴まないでください、なんてことを大監督に平気でいう」
あの、故・黒澤明監督にも、散々噛みついた。
「当時の黒澤さんは、まさに天皇のごとく君臨していて、僕が現場で腕を組んでいるだけで、腕組むなっと雷が落ちる。理屈も何もなかったな。なのに、怒らせるなよといわれればいわれるほど、僕は“巨匠とはいえ同じ人間じゃないか”と思ってしまうんだなあ(笑い)。納得いかないことにいちいち食ってかかる、そんな自意識過剰でヘボ役者の僕を、しかし黒澤さんは、アイツがあの気概をあと10年持っていられたら何とかなるかもしれない、といってくれていたらしい。突っ張ってばかりで、でもとにかくしゃかりきだった雑魚の思いを、感じていてくださったんですね」