カダフィ(リビア)やムバラク(エジプト)といった独裁者たちが、長期にわたる腐敗と失政の報いを受けようとしている。権力の椅子にしがみつこうとする孤独な男たちには、様々な共通項が見出せるが、その権力を引き継がせようとする「息子」たちが何の資質も持ち合わせていない放蕩息子ばかりだという共通点は興味深い。落合信彦氏が解説する。
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カダフィの放蕩息子たちの見るに堪えない振る舞いは、独裁者の息子としては、決して例外的なものではない。
私がまず思い出すのは、冷戦下の東欧で秘密警察「セキュアリターテ」を使って国民生活を逐一監視し、飢餓に苦しむ一般市民を差し置いて自分と家族にだけは豪奢な生活を許していたルーマニアの独裁者ニコライ・チャウシェスクとその息子のことである。
1989年12月24日に起きたルーマニア革命により、チャウシェスク夫妻は銃殺処刑された。私が首都・ブカレストに取材に入ったのはその直後のことだったが、市内の光景は異様だった。
日々のパンも手に入れられないような国民が暮らしているというのに、中心部にはチャウシェスクが建設させていた地上10階建て、3000以上の部屋を誇る宮殿がそびえ立つ。その正面の通りは、チャウシェスクが出した「パリの大通りよりも広い通りを!」という指示に基づき、シャンゼリゼ通りよりも1m広い幅で作られた。地下道は戦車も通れる。
財政破綻寸前だったルーマニアで、この道を真っ赤なフェラーリで疾走していた男がいた。それが、チャウシェスクの次男・ニクであった。
ニクが車を乗り回す時はセキュリティが張り付き、大通りには10mおきに警察官が配備された。一般市民の生活水準など無視したチャウシェスク一族の象徴であったと言えよう。
ニクは、未成年のうちから酒を飲んではお気に入りの車を運転し、あげくに交通事故を起こし、またある時はレイプなどの犯罪行為に走っていたという。
もちろん、彼が罪を問われることなどない。「俺を一体、誰だと思っているんだ」その一言で、ルーマニアの全ての警察官は独裁者の息子にひれ伏すのである。
そんな男でも、父親の威光があれば、国や党の要職が与えられる。32歳の若さでルーマニア共産党中央委員に選出された。これでは本人が行ないを改めるはずはない。
そんなニクの毒牙にかかり、人生を狂わされた女性がいる。
1976年のモントリオール五輪の体操で史上初めて10点満点を叩き出し、金メダルを獲得した「ルーマニアの白い妖精」ことナディア・コマネチであった。
国民的ヒロインは、独裁者の息子から毎晩のように夜の街へ付き合うように求められ、愛人関係となることを強いられた。もちろん、当時のルーマニア国民に、チャウシェスク家に逆らえる人間など一人もいない。身も心もボロボロになったコマネチは、命からがらオーストリア経由でアメリカへと亡命する。革命の1か月前のことであった。
ルーマニア革命が起きた時、ニクは別の愛人と車で逃走しようとし、逮捕された。連行されるニクの愚かで哀れな姿は国営放送で生中継され、視聴した国民は大いに溜飲を下げた。
その後、横領罪などに問われた裁判中に、ニクは肝硬変でこの世を去った。ストレスや深い思考、自省の念などと無縁のまま40年近く生きた男にとって、「本当の世界」はあまりに苛酷だったのだろう。
※SAPIO2011年5月25日号