樋口武男氏は1938年生まれ。1963年大和ハウス工業入社。1993年グループ会社の大和団地社長に就任。2001年、大和ハウス工業との合併を機に同社の社長に就任。2004年より代表取締役会長兼CEO。著書に『熱湯経営』がある。東電事故で何かと話題の「会長」と「社長」だが、樋口氏が会長職について語った。
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2004年に会長に就任したのも石橋信夫オーナーの遺志です。亡くなる1、2年前から「俺が死んだら、俺と同じような会長になってくれ」と。しかし、当然、「見る」と「やる」では大違いでした。とにかく会長職は社業以外の活動に忙殺されるんです。
財界活動などの公職は50以上。例えば、震災後は、住宅生産団体連合会の災害対策本部長として、政府から仮設住宅の要請の窓口となり調整役を務めています。
社長と違って、会長は外の人間と接する機会が多い。いわば“動く広告塔”のようなもの。講演するのだって企業PRを兼ねています。『あんな会長がいるなら、大和ハウスで家を建ててみようか』という人も実際にいます。昨年だけで42回も講演しました。
普通、会長になると時間ができると思われているけど、私の場合は引き続き経営責任を負っているからますます忙しくなりました。
もちろん社業を疎かにしているわけではありません。
オーナーの夢は、うちは100周年(2055年)を迎えるときに10兆円企業群になっていることです。
そこまで継続させるには、ものすごい数の人材を育成しなければならない。石橋からはいつも「次の次の社長まで考えておけ」とまで言われていました。石橋は人によって会社が変わることを、身をもって知っていた。かつては自分の息子を社長にしたけど経営悪化で、最後は外した人ですからね。
オーナーは常々、「何をしたら儲かる」ではなく「将来、社会で何が必要になるのか」を考えろといっていました。私には、この信念を社員に伝えていく使命があります。まだまだ休みはとれそうにありません。
※週刊ポスト2011年5月27日号