東日本大震災の直後、関東地方のスーパーやコンビニの棚から多くの食料品が消えた。その中でもパスタやうどん、パンといったいわゆる小麦製品の消えっぷりは凄まじかったが、あの頃製粉メーカーはどのような対策を取っていたのか。
「あの頃はむちゃくちゃな状態でしたよ! なんせ、大手スーパーのは『いくらでも出せ!』『あるだけ出せ!』というものだったのです。さすがに今はそんな要求は来ませんけど」(製粉メーカー営業マン)
このような要求をされるものの、3月中旬当時は東京電力の「計画停電」が行われる見通しが頻繁に報じられていた。同社にとっての懸念は、増産体制に入ろうにも電気が停まり、工場の機械を稼働できないことだった。これでは小売店の要求に応えられない。
そこで同社は発電機をレンタルすることを決定し、計画停電に備えることにした。だが、その後東京電力は計画停電を撤回。せっかくレンタルしたものの発電機は不要に。同社は2台で1.5カ月あたり1000万円のレンタル料がかかる大きな発電機は返却することにしたが、念のために小さな発電機のレンタルは継続。結果的に数千万円のレンタル料を支払うこととなった。
ちなみに同社の小麦製品の売り上げは前年同時期比120~130%だったという。