オサマ・ビンラディン容疑者殺害で狂喜乱舞するアメリカ国民に、多くの日本人が強烈な“違和感”を覚えた。では、他の国の反応はどうだろうか?
イギリスに詳しい作家の井形慶子さんは、ビンラディン容疑者殺害時、イギリスに向かう機上にいた。到着直後にニュースを知ったが、お祝いムードどころではなかった。
「ロンドンの空港は報復テロの警戒一色でした。多くのイギリス人ははしゃぐアメリカ人の映像に違和感を覚えていました。というのもイギリスはアメリカの『テロとの戦い』に全面的に協調したために、ロンドン同時爆破テロ(2005年)という報復に遭い、痛い思いをしているからです。多くのイギリス人は、『あんなに喜んで報復されたらどうするの』という気持ちでした」(井形さん)
同じ違和感でもイギリスと日本では事情が異なるようだ。ではいったい、テロになじみのない日本人が抱いたあの感覚の正体は何だったのだろうか。産経新聞の社会部記者からロサンゼルス支局長を務めた経歴を持ち、独自の視点で国内・国際問題を評論し続けているジャーナリストの高山正之さんはいう。
「日本は昔から自然災害が多く、死や悲劇を運命として受け入れてきました。今回の震災でも、あれだけの被害にもかかわらず粛粛とした姿に世界中が驚いたほどです。人が死んだら仏となると考える日本人には、敵を恨むことを潔しとしない考えがある。日露戦争でも敵のロシア軍司令官の墓を作って手厚く葬ったほどです。悪と善をはっきり分けることになじみません。だから人を殺して喜ぶアメリカ人に眉をひそめるのです」
『これからの「正義」の話をしよう』などの著書があるハーバード大学のマイケル・サンデル教授と親交の深い、千葉大学の小林正弥教授の次の言葉はしっかり胸にとどめておきたい。
「確かに、アメリカの正義はいきすぎる傾向がある。しかしその一方で、日本では正義について考える習慣が廃れてしまっています。何が正しくて何が悪いのかを突きつめて考える習慣がなくなってしまうと、無正義状態になり、結果として不正義が横行する。原発問題で、立場の弱い下請け作業員に過酷な条件で危険な仕事をやらせていることなどは典型的な例です。日本人はもう少し正義の感覚を回復すべきでしょうね」
※女性セブン2011年6月2日号