84歳の今も朝8時から夕方5時まで樽作りに精を出す。洋樽職人の齋藤光雄氏は、『マルエス洋樽製作所』(埼玉県羽生市)代表として独自の製法で洋樽を製造し、ウイスキーブームを支えてきた。
この道55年。実家は大正時代より洋樽会社を営み、海外から輸入された樽を加工していた。だが、実家と工場があった東京都墨田区は昭和20年3月に東京大空襲に遭う。
「終戦後に家業を継いだんですが、工場は焼かれていたし材料もない。そんな時、露店で大砲を入れる木の箱が目に留まった。これはいいと閃いて家庭用の洗濯たらいを作ったら飛ぶように売れてね。金具は焼け残ったタガを使いました。ないものは自分で作り出せばいい。“これがなければいけない”という思い込みは仕事の妨げになる。商いの基本を終戦期に学びました」
夏の夜空を花火は華やかに彩る。夜空に開いた星が消えて、再び現われて瞬きだす『マジック牡丹』を開発して花火界に革命を起こしたのが小口昭三氏(82)だ。
独自製品を作って会社を成長させたい、販路を開拓したい――その一心で新しい花火の研究に没頭した。
「点滅する花火を作ろうと根気よく試作を続けて、完成させるまでに3年かそこらかかったのかな。ただ、どんなに失敗を重ねても、最後までやり通すのが当然だと思っていた。戦前から戦後の激動を生き抜いて、強い意志と根性が身に付いていたからかな。もしあそこで諦めていたら今日の自分はないね。今の子はすぐ諦めるけど、どんな仕事でも意志を曲げずに貫くのは大事だと思いますよ」
昭和43年に大曲全国花火競技大会で発表した小口氏の新作花火『マジック牡丹』は、たちまち通商産業大臣賞を受賞した。
※週刊ポスト2011年6月3日号