【書評】『政権交代の悪夢』(阿比留瑠比/新潮新書/756円)
【評者】山内昌之(東大教授)
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筆者が全国紙政治部の現役記者であることを知る人もいるはずだ。阿比留瑠比という珍しい姓名に加えて、記者会見で菅首相が名前をわざわざ挙げて反論するジャーナリストもまずいないからだ。しかし、本書における菅政権批判の論調は鋭いにせよ、内容は論理的にも説得力にあふれている。
民主党政権の大臣や有力者の出身母体を分析しながら、政権を旧自民党と旧社会党の合体した「55年体制の完成形」と定義するあたりは鋭い。古い自民党政治に飽きた有権者は「新しい政治を選ぼうとして、もっと古色蒼然とした政治を掴まされた」という指摘は、政権交代に期待したはずの有権者のいまキツネにつままれた嫌な気分をうまく言い当てている。
とくに菅政権については、そこから田中角栄の直系政治家たる小沢一郎氏を排除した結果、より純化されて昔の社会党に近づいたというのだ。確かに、「疑似社会党政権」だと考えると菅首相らの政策、思想傾向、政治手法が理解しやすい。民主党では、自民党顔まけの子ども手当や高速道路無料化などのバラマキ政策の一方、公務員の定員や手当の削減に反対しながら、国家や安全保障の基礎を真面目に考える議員が少なかった。
鳩山由紀夫氏を超える「史上最低の首相」を想定しがたかった筆者も、大衆迎合と「ずるさ」で首相になった菅氏のしたたかさを過小評価していたようだ。「愚かな内閣」から「卑怯な内閣」に変わった後に、「臆病」「うそつき」「無責任」の替え歌メロディーが永田町に広がったように、菅首相は大震災での対応ぶりでも「国民の軽蔑」を買ったという。
閣僚が国会で嘘をついても責任を問われないという答弁書を閣議決定した点を挙げて、筆者は「逃げることにも、嘘をつくことにも何の抵抗も感じない恥知らずな内閣」ではないかと手厳しい。政権交代という壮大な「実験」も失敗に終わったという指摘はもはや誰もが否定できない。一読後、意志力と責任感に富むリーダーの出現を待望したくなる本である。
※週刊ポスト2011年6月3日号