東日本大震災以降、「政府によるリーダーシップの不在」を感じた方も多いのでは。だが、野党である民主党もリーダー不在と語るのは大前研一氏だ。
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野党である自民党にも人材はいない。中曽根康弘氏以後は、リーダーシップと見識のある首相は現われていない(小泉純一郎氏にはリーダーシップはあったが、世界観や経済成長のビジョンが欠けていた)。
今の谷垣禎一総裁や石破茂政調会長、石原伸晃幹事長らに激動する世界の中で日本の将来像を描き、実行に移していくリーダーシップは期待できそうにない。したがって、もし次の総選挙で自民党が政権の座に返り咲いたとしても、小泉氏の後、ワン、ツー、スリーと続いた無能首相のパターンが、フォー、ファイブ……と続くだけだろう。
日本が低迷を始めてからちょうど20年になるが、そのうち18年は自民党が舵取りをしていたのだから、その反省をしないまま自民党が政権に戻っても、東日本大震災の復興利権に群がるだけで、日本は下り坂を転げ落ちるスピードが加速する可能性のほうが反転する可能性より高いと思う。
政治家一般については、たしかに選んだ有権者にも責任があるといえるだろう。だが、国家の舵取りを担う「首相」についてはどうか。日本の場合は国民がリーダーシップのある人間に就任してもらいたいと思っても、首相選びにはほとんど関与できずにきた。有権者が選んだ覚えのない首相が、相次いで登場した。菅直人然り、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎然りである。
菅首相にリーダーシップがないのは厳然たる事実だが、我々は日本の政治風土に潜む構造的な問題に目を向ける必要がある。問題の本質は、選挙で勝った第一党の党首が首相になる、という議院内閣制の「常識」が欠けていること。そして、たとえ選挙直後はそうだった場合でも、その後、与党内で首相の座がたらい回しにされてしまうことである。
※週刊ポスト2011年6月3日号