東京都新宿区歌舞伎町は東洋一の歓楽街と謳われたた不夜城だ。震災後シンボルの「歌舞伎町一番街」のネオンが消え、さすがに沈黙したかと思われた。だが5月1日にネオンが再点灯するのにあわせるように、ひと足も戻ってきたという。歌舞伎町の住人たちはこの震災をどう見ているのか。名物男たちに話を聞き、深夜の街を歩いた。
第一回目は作家・ジャーナリストで歌舞伎町で中国料理店「湖南菜館」を経営する李小牧さん。(取材・文/神田憲行)
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ついこの間、本の宣伝のために地震後初めて中国に帰ってテレビや雑誌などメディアの取材を受け来たんだけど、やっぱり「日本はもうダメでしょう」と喜んでいる人がいました。毒餃子の問題があったから、農作物の放射能汚染で「今度は日本の番だ!」みたいな喜び方をする人もいる。私は「日本は第二の故郷です」といちいち反論していたんですが、残念ですね。
彼らがそう思うのは反日という部分と、日本と日本人のこと知らないからだと思います。私自身、今度の震災で日本人の良さを再認識しました。
地震当日の夜、帰宅難民の人たちのために店を開けて「半額セールスです。お店の電話も無料で使ってください」と通りに出て呼び込みしたら、たくさん人が来たよ。名前いえないけど芸能人のカップルもいた(笑)。
みんな店で雑魚寝して翌朝帰って行ったんですが、誰もパニックになってないんだよね。被災地の福島まで餃子作るボランティアにいったときも、避難民の人たちが冷静でびっくりした。強盗とかレイプのような凶悪犯罪が起きていない。これが中国だったら大変なことになってるよ(笑)。
計画停電地域のお店でも、ローソクで営業していた。飲食業で停電とかいったら大変なことだよ。でも誰も文句言わず「協力しましょう」と冷静に仕事をする。日本人の協力する心、冷静な態度に感心しました。
地震で在日中国人は23万人も帰りました。成田空港は飛行機のキャンセル待ちを待つ中国人で溢れかえり、まるで中国の鉄道の駅みたいになってたよ(笑)。私? 私は帰らないよ。私は在日中国人の「基準」みたいな人だから、私が帰ったらいま残ってる中国人がみんな帰っちゃうよ(笑)。
私は23年前に中国から歌舞伎町に来て、仕事も恋愛もこの街でお世話になった。いま帰ったら日本人に申し訳ない。帰国した人を責めるつもりはない。それぞれ事情があるだろうから。でも私自身は、こんな大変なときこそ残らないといけないと考えている。
もちろん震災後一週間ぐらいは一日の売り上げが数千円とか厳しい状況でした。歌舞伎町全体で今も外国人のお客さんは減っていますが、逆に日本人が増えた感じがするんです。それに私の知る限り、地震のせいで歌舞伎町の店は一軒もやめてないですよ。みんな必死で営業している。大丈夫、この街はまだ死んでいないです。