20万人以上の避難・退避者を出し、日本中に経済的被害をもたらした原発事故は「人災」にほかならない。
福島第一原発1号炉への海水注入が停止したとされた「空白の55分間」の真相を追うとそのことが明確になる。本誌は当時の経緯を知る複数の官邸事務方スタッフや原子力安全委の事務局関係者の証言を得た。
3月12日18時頃、菅首相を囲む「御前会議」は官邸の総理執務室で行なわれた。官邸スタッフが振り返る。
「菅直人総理は班目春樹・原子力安全委員長や保安院に露骨に不信感を見せていた。原子炉の圧力が下がれば大丈夫だといっていたのに、15時半過ぎに1号機の建屋で水素爆発が起きたからです。総理は野党党首たちとの会談の席で『間違いなく安全だ』と説明したばかりだったから、『話が違うじゃないか!』と血相を変えていた。ひとたび信用できなくなれば、総理は何でも自分で確かめないと気が済まない」
菅氏は東京工業大学理学部応用物理学科卒で、「僕はものすごく原子力に詳しい」と周囲に自慢していた。その“専門家”が会議でこだわったのが「再臨界」だった。
再臨界とは、地震直後に停止した原子炉内の核分裂の連鎖反応(臨界)が再び起きることだ。臨界には減速材(原子炉内で核分裂後に発生する中性子のエネルギーを吸収して減速させ、連鎖的に核分裂を起こしやすくする物質)となる水が必要であり、炉内に海水を入れることで再び臨界が起きやすくなるのではないかと心配したのだろう。
菅首相は班目氏に、
「再臨界の心配はないか」「可能性はゼロなのか」
――そう執拗に問い詰めたという。原子力安全委の事務局関係者が明かす。
「班目さんは科学者だから、“100%ない”と断定する人ではない。繰り返し聞かれれば、ゼロではないと答えるしかなかった。それでも海水注入は必要だといくら説明しても、総理は再臨界ばかりを心配していたそうです。会議の後、班目さんが本当に憔悴しきった表情だったのをよく覚えています」
もっとも、本物の専門家からすれば、首相の懸念は一笑に付される代物だ。本誌は過去に何度も、再臨界の可能性は極めて低く、たとえ一時的な臨界が起きても核爆発のような事態にはなり得ないことを専門家の詳細な分析とともに報じてきた。東芝で電力・産業システム技術開発センター主幹を務めた奈良林直・北海道大学教授(原子炉安全工学)が語る。
「あの状態で再臨界を心配するようなら専門家ではない。海水ならば、むしろ真水より再臨界は起こりにくい。海水注入を継続すべきなのはいうまでもない」
原子力安全委の久木田豊・委員長代理(原子力熱工学)は、班目氏とともに記者会見し、
「再臨界が起こったとしても、海水注入を止めるような危険を冒すべきでないことは当然だと考えている。再臨界という言葉を聞いただけで爆発が起きると受けとられている方がいないではないので、あえていう」と、痛烈に「エセ専門家」の科学的知見の低レベルを批判した。
※週刊ポスト2011年6月10日号