脱獄といえば、映画の題材としてもしばしば取り上げられるテーマだが、昭和の日本にも4回の脱獄に成功した男がいた。吉村昭の『破獄』のモデルにもなったその男のやり方には、「味噌汁を使う」など、機知に富んだものもあった。
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脱獄風景の模型が近くの「博物館網走監獄」に残る「伝説の脱獄王」が、青森の白鳥由栄(初犯時25)である。以下、4度の脱獄履歴。
【1】青森刑務所……昭和11年、入浴に使う手桶の金属製タガを外して合鍵を作り、鉄格子の扉を開けて逃走。
【2】秋田刑務所……三方を銅板で覆った特製独房の壁をよじ上り、高さ3.2mにある天窓を破って脱獄。
【3】網走刑務所……鋼鉄製の手枷と足枷をかけられて独房に入るが、食事の度に口に含んだ味噌汁を手錠や視察窓のネジに吹きかけて腐食させ、収監から1年4か月後に視察窓から脱走。
【4】札幌刑務所……拳銃を携帯した看守に24時間態勢で監視されるが、便器の鉄タガをノコギリ状に加工して床板を切り、食器で床下を掘って脱獄。
そんな白鳥だが、最終的には改心して府中刑務所で模範囚として刑に服す。「人間が作ったものを人間が壊せないはずはない」と語っていたという。
※週刊ポスト2011年6月10日号