スポーツジャーナリストの安倍昌彦氏はかつて早大野球部でプレー。全国を旅して噂に聞こえた剛球投手の球を直にうけ、ミットの感触を文に認める。ついた名前が“流しのブルペンキャッチャー”。安倍氏が、日本ハムの中軸を打つ中田翔についてレポートする。
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中田翔は根っからの「投手」である。 彼が大阪桐蔭高2年の頃。当時、150キロ左腕として売り出し中の辻内崇伸(現・巨人)のピッチングを受けさせていただいた。
辻内投手、汗飛び散らして投げるブルペンにぶらっとやって来て、隣りのマウンドでビュンビュン投げ始めた中田翔。
1球投げては、こちらをチラッ。そして、また1球投げて、チラり。
こっち、見んかい!
辻内以上に思えた剛球に、そんな叫びが聞こえ、「あとで少し、いい?」と声をかけた時の、彼の顔のうれしそうだったこと。 こっそり投げてもらった10球。たったそれだけで、ミットの中の人差し指が紫色に変色していた。
甲子園のマウンド。顔を二塁走者のほうに向け、目で殺したままホームに投げて、アウトローにビシャリ。投球のセンスはモノが違っていた。こいつは「投手」だ。勝手に確信していた。なのに今季、中田翔は「打者」になりかけている。それが悪いとは言わない。「打」を捨てろと言っているわけじゃない。 ここまで「打者・中田翔」を磨いてきた本人の努力と、教え導いた方たちの骨折りには頭が下がる。
私に一つの妄想がある。
〈1点リードで迎えた9回2死満塁のピンチ。ここで、レフトを守る中田翔がベンチに向かって、やおら右手を高く上げる。同時にベンチから飛び出した梨田監督。
「ピッチャー、中田!」
そう審判に告げて、もうマウンドに向かいかけている中田翔を指さす。それを受けて、胸を叩く中田翔。肩ができているのか? そんなもの、交代の7球でたくさんだ。
リリーフのマウンドに上がり、打席に入る打者を見下ろし、自分から目を合わせにいく中田翔。圧倒されて視線を外す打者…〉
そんな彼が、私には一番かっこいい「中田翔」として見えるのだ。 中田翔、彼はレフトやサードや、そんなグラウンドの隅っこで本気になれるヤツじゃない。
※週刊ポスト2011年6月10日号