凶悪な事件を凶悪な男が侵すとは限らない。「国内初」と言われるバラバラ殺人を引き起こした男性は、社会的には“エリート官僚”と呼ばれる男だった――。かつて日本で実際にあった事件を紹介しよう。
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大正8年6月、米どころ新潟を流れる信濃川下流で、外米商(外国産の米を売る商人)の男がバラバラ遺体で発見された。数日後に自首したのは、新潟出身の農商務省外米管理部主任の官僚・山田憲(30)だった。
外米管理部とは、前年の米騒動を受けて設置された米価調整機関で、外米は同部が指定した業者しか販売できない。そのため、外米管理部の役人と外米商との間では、全国的に贈収賄が横行していた。
山田が男を殺害した理由は、金銭トラブルだった。米相場に手を出して借金を抱えた山田は、商売の便宜を図ることを口実に被害者から賄賂をせしめたが、騙されたことに気づかれるのは時間の問題だった。返済を迫られた山田は外米管理部の後輩と共謀して男をバットで撲殺。金のこぎりで遺体を切断し、2つのトランクに詰めて信濃川に沈めたのだった(山田は死刑となる)。
この事件は日本で最初のバラバラ殺人といわれ、当時の日本では珍しいバットが凶器となったことでも注目された。
※週刊ポスト2011年6月10日号