名古屋のシンボルといえば、徳川家康公が築城した名古屋城。その名古屋城のシンボルといえば、地上高くそびえる金の鯱だが、かつて、この金の鯱の鱗を盗み出した不届き者がいたという。その男は一体どれだけの富を手にしたのか?
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金の鯱で有名な名古屋城には、江戸時代に柿木金助という大泥棒が鱗を盗んだという説話がある。それから約170年後、「昭和の金助」が現われた。
強盗や窃盗を繰り返していた佐々木賢一(40)は、昭和12年1月4日、天守閣の外壁修理のために組まれた足場に目を付けた。見物人に紛れて小天守に潜入して夜を待つ。夜10時、人気がなくなったのを見計らって大天守へ向かい、暗闇の中、5階の窓から屋根へと足場を伝って高さ55mにある鯱にたどり着くと、ペンチで58枚の鱗を剥いだ。
鱗は14金で、被害額は5000~6000円(現在の価値で40数万円)。新聞の見出しには「昭和金助現わる」「猿の如く攀上る」の見出しが躍った。だが、佐々木は大阪で鱗を金の延べ棒に替えて売ったことから足が着き、27日に御用となる。盗みを働いた動機は、別れた家族を探すためだったという。
なお、現在の鱗は特殊なボルトで据え付けられ、専用スパナ以外では剥がせなくなっている。
※週刊ポスト2011年6月10日号