石巻市内の避難所で、被災者やそこで働くボランティアの人たちに人なつこい笑顔で声をかける中里藤枝さん(51)。彼女は、看護師のボランティア団体CANNUS(キャンナス、本部=神奈川県藤沢市)の一員として、避難所に寝泊まりしながら被災者のケアを行っている。
中里さんは青森県八戸市出身。夫と子供3人の5人家族で、日頃は同市内にある居宅介護支援事業所でケアマネジャーとして働き、地元の高齢者らを支えている。
「自分ができる(CAN)ことをやろう」という理念のキャンナスに登録したのは3年前のことだ。ケアマネジャーの仕事のなかで、もっと介護の手を必要としている人がいるのに、介護保険制度の枠組みでは支援できないケースがあることを知った。
「困っている人を目の前にしたら、何とかしてあげたい。でも“仕事”としてやると、利用料金や利用時間など制度の壁に阻まれてしまうんです」(中里さん)
キャンナスの八戸支部を設立し、仕事の傍ら、ボランティアで看護活動をしていた。
そこに起きたのが3月11日の東日本大震災だった。八戸も震度5弱の揺れと停電、浸水被害に見舞われ、中里さんも利用者の安否確認などに追われた。
しかし宮城・岩手に比べれば被害は小さく、10日ほどたつと、他の被災地の様子が気がかりになった。
「気仙沼市(宮城県)にはいっていたキャンナスのメンバーから『手が足りない。(高齢者は)もうおむつ交換もされていないし、誰でもいいから来てほしい』というメールが来たんです。八戸では看護のボランティアを受け付けていなかったので、行こうと思いました」(中里さん)
子供が幼かったころにキャンプで使った古い寝袋と毛布を車に詰め、地図はなかったが「現場に行けばなんとかなるだろう」とたったひとりで出発。途中でクリームパン10個とお茶のペットボトルを買い、4時間かけて気仙沼にはいった。
看護師のボランティアというと、被災した人のけがを応急処置したり、医師とともに被災者の健康をチェックしたりするイメージがあるが、中里さんが避難所で真っ先にしたのは、トイレの掃除だった。
「汚物が溜まっていて流れなかったんですよね。それでビニールを手にかぶせて、“えいっ”て(笑い)。私たちは普段、家にいるかたの介護や看護をしているので、そういう環境面や衛生面に目がいってしまうんですよね」(中里さん)
※女性セブン2011年6月16日号