巨大地震の前に、「本」はあまりに脆かった。だが、日々の生活に窮する今だからこそ、人々の「活字」への思いは高まっている。3.11以後、再確認させられた書店の役割、そして「復興」への歩みをノンフィクション作家・稲泉連氏が綴る。
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五月二十六日、岩手県大船渡市立根町――。
「わたし、言ってしまったんですよ」
国道45号線沿いにあるブックポートネギシ猪川店の事務所で、代表取締役社長の千葉聖子は苦笑した。
「津波に遭ってから数日後のことです。商品が全く入荷しない期間が四~五日続いたんです。うちの店舗まではトラックが通れたのですが、取次さんの流通が混乱していて商品が入らない。それで思わず言ってしまったんです。『生きてる本屋も殺す気ですか』って」
ブックポートネギシ猪川店は、震災後に最も早く営業を再開した書店の一つだ。大船渡市には当時四つの主な書店があったが、そのうちの三店は津波被害を受けた。大船渡町にあった同社の地ノ森本店も跡形なく流されている。
当時、近くの高台の幼稚園に避難した地ノ森本店の従業員・高橋葉子は言う。
「津波が来る直前に車が道路から全くいなくなったんです。しーんと静まりかえっているのが不気味でした。すると、隣にいた男性が『白波が立ってるぞ』と言う。見れば、確かに波が立ってはいました。でも、私にはまだ全然大丈夫だと感じられたんです。ところがその瞬間にはもう水位がどんどん上がってきて、盛川があふれたと思ったら、右手の市街地の方からも波が来て重なり合って……。あっという間にお店も浸水して見えなくなりました。何も考えられませんでした。ただただ見てしまった、見なきゃよかった、って思うばかりでした」
地ノ森本店は建物の土台だけが残され、数千万円分の商品は全て流失した。津波の後、大船渡市内に残された書店は、事実上ブックポートネギシの猪川店のみとなってしまった。
崩れ落ちた商品を並べ直し、震災四日後の十五日に店を開けた時は、驚くほど多くの客が詰め掛けたと千葉は続ける。
人々は情報を欲し、必死だった。彼女もまた同じように必死だった。インターネットはつながらず、電気がないため携帯電話でのネット接続も控える必要がある。その中で情報や活字を求めて書店を訪れる地域の人々の声。それに応える責任を感じながら、同時に大きな被害を受けた書店そのものを立て直していかなければならない。
「あらゆる物資がなかったので、本当にたくさんの商品が売れました。特に必要とされたのは児童書やコミック。釜石や気仙沼、陸前高田から車で買いに来るお客さまもいて、『ジャンプ』や『サンデー』などの漫画週刊誌は全く数が足りない状況でした」
そうして売れ始めた書籍は、被災地の状況を鏡のように映し出している。緊急発売されたグラフ誌や週刊誌はもちろん、書籍では『実例お礼の手紙・はがきの書き方』『心に響く「弔辞」』『1000万円台で建てた家』、他にもパズル誌やスマートフォンの解説書、『Goo』などの中古車情報誌がたちまち棚から消えた。
「お礼状の本などは、便箋や封筒と合わせて在庫があるかどうかをよく聞かれます。お見舞い金を貰ったり支援を受けたりした方が買っていくんですね」(敬称略)
※週刊ポスト2011年6月17日号